第39話 遊ばせてるだけ
2時間前
2時間前
午前の光のいちばん長い一筋が、学び舎の板の床のいちばん手前の節から半歩分、奥の方へ伸びていた。
五つ目の椀は今朝も、白墨の「五つ目」の字の下に置かれていた。朱の薄い輪切りから立つ湯気の手前の縁の温度は、昨日よりも半寸早く届いていた。
トビアス様の右手の指の第一関節が、自分の椀の縁の半寸内側に静かに添えられていた。ドロテア様は兄の椅子の左の小さな椅子で、左手の指二本分で兄のシャツの裾の折り返しの縁を握っていた。握っていない側の右の掌は、前掛けの縫い目の縁に置かれたままだった。
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戸口の板の縁のところで、鉄の軋みでも皮の縁の音でもない、別の音がした。
——乾いた木の先が、板の縁を強く叩いた音。
ひと拍、ふた拍の二拍分で止まった。三拍目は投げられなかった。
レオンの右手の指の第三関節が、教卓の白墨の粉の横三本の薄い筋のいちばん下の縁で半寸止まった。止まった先で、深い緑の瞳が戸口の方角へまっすぐに置かれた。
「……ああ。カタリナさん」
レオンの喉の下の層のところに、ふた月前の開校の日、井戸の縁の外で聞いた「遊ばせてるだけじゃないか」の遠い延長線が、半寸重ねられていた。
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戸口の板の縁の外、午前の光の一筋のところに、35歳の女の方が立っていた。
日焼けした腕。麻の袖をまくった灰色の上衣。頭の手ぬぐいの下の黒い髪が、額の左の端に半寸ほつれて垂れていた。
左手の親指の付け根の皮膚の層のところに、——鍬の柄の握りの形が半月分の厚さで食い込んでいた。親指の爪のいちばん内側の縁に、黒い土の粒が一つ小さく残っていた。
靴は革の底のいちばん外側の縁まで、乾いた土の粒の深い層を上げていた。井戸の水で袖口だけは洗われていたが、手の甲の薄い皮膚の層の新しい擦り傷の縁には、まだ昨日の薪割りの木の粒の温度が半寸残っていた。
右手の親指と人差し指の間で、鍬の柄の乾いた木の先が上下一度、鳴らされた。二度目は鳴らなかった。
深い笑い皺のいちばん外側の一筋のところが、今朝は笑っていなかった。
褐色の瞳のいちばん外側の縁が、学び舎の板の床のいちばん手前の節から半寸内側へ置かれた。置かれた先で、五つ目の椀の空の縁の方が一度、測られた。
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「……あんたが、フィオナ先生かい」
「……ええ。フィオナ・メルツでございます。カタリナ様」
「様、いらねえよ」
七文字。
声のいちばん細い縁の層に——夫を三年前に亡くされた辺境の母の、いちばん深い底の一筋の温度が、半寸沈んでいた。
「……では、カタリナさんと」
「……ああ」
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膝を同じ高さに折った。五年前から同じ高さ。——ただし今朝は、大人の目のちょうど半寸下の位置。
カタリナ様の褐色の瞳のいちばん深い層が、半寸細まった。右手の鍬の柄の乾いた木の先は、もう鳴らされなかった。代わりに、左の親指の付け根の層に、握りの形の半月分の厚さが、もう半寸深く食い込んだ。
褐色の瞳のいちばん外側の縁が、板の床のいちばん手前の節の上に並ぶ三人の公爵家の子供たちの方へ、測るように置かれた。
「……あんたらが、王都から歩いてきた坊ちゃんとお嬢さんかい」
ルーカス様は立たれた。椅子を引かれる音は立てずに、右手の指の第三関節を卓の板の目の一粒の上に添えて、立たれた。
「……ルーカス・ヴェルナーです。カタリナさん」
「です」の二文字の半寸の震えは、今朝は残らなかった。残らない代わりに、茶色の瞳のいちばん真ん中のところが、35歳の褐色の瞳のいちばん外側の縁に静かに合わされた。
カタリナ様の褐色の瞳のいちばん深い層が、半寸揺れた。——「坊ちゃん」と呼ぼうとしていた子が、目の前で「坊ちゃん」を降ろして、名前をまっすぐに置いている。
「……ふうん」
二度目の「ふうん」の下の層に、先ほどの同じ音とは半寸違う温度が、預けられていた。
エミリア様も小さく椅子を退かれた。「……エミリア、です。カタリナさん」——「様」を置かなかった。
マティアス様は寝台の毛布の縁から半歩、節のところまで歩かれた。柘植の星型のスプーンを胸の前に深く抱えたまま。
「……マティアス、です」
八文字。
カタリナ様は何も言われなかった。言わない代わりに、右手の鍬の柄の乾いた木の先の、握りの形の半寸外の層のところが、一度小さく緩んだ。
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トビアス様は立たれていた。
「……カタリナおばさん」
九文字。
——近所の別の家の母親に向かって、八歳の背筋が半寸伸びた形。
カタリナ様の褐色の瞳のいちばん外側の縁が、トビアス様の左の頬の乾いた土の粒に、ひと呼吸留まった。眉の外側の角が半寸下がった。
「……あんた、椅子、投げなくなったんだってね」
十九文字。
「……ここじゃ、投げなくていい」
十三文字。
カタリナ様の眉の外側の角が、半寸下がった。深い笑い皺のいちばん内側の一筋が、今朝初めて半寸動いた。けれども、唇の縁の笑いの形は置かれなかった。
「……そうかい」
四文字。
ドロテア様の右の小さな掌が、前掛けの縫い目の縁で半寸持ち上がった。灰緑の瞳のいちばん深い層が、カタリナ様の手の甲の擦り傷の縁に、ひと呼吸置かれた。
置かれた先で、唇の縁の薄い産毛のところが半寸震えた。八度目の震え方。
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カタリナ様は半歩、内側へ進まれた。
「……先生」
二文字。「様」は置かれなかった。
「はい、カタリナさん」
「……うちには三人いる。ヨハンが八歳。フリーダが六歳。エーリクが四歳」
「……亭主は三年前に、落石で逝った。畑はあたしが一人で回してる」
声のいちばん細い縁の層で、半月分の鍬の柄の握りの形のいちばん深い底の層の温度が、半寸揺れた。
「……ヨハンはレオンのとこで去年、『あ』と『い』を覚えた。フリーダはまだ字を見せられてない。エーリクは、——まだどこにも行かせてない」
「……それであたしは、あんたの学び舎の戸口の外を、半月見てきた」
カタリナ様の左の親指の付け根の、半月分の厚さの握りの形のところが、もう半寸深く食い込んだ。
「……遊ばせてるだけで、教育なんて、笑わせるね」
二十文字。
「……うちの子には、読み書きを教えておくれ」
十八文字。
「藁の編み方でも歌の節でもねえ。——読み書きだ。指の腹で字の形が掴めるように、してやっておくれ」
指の第二関節のいちばん外側の皮膚の一段の下から、小さな、けれども明確な一粒の温度が昇ってきた。
——この人が三年分、一人で抱えてきた畑と三人の子供の重さの、いちばん奥の一粒。
言葉にはしなかった。しないまま、褐色の瞳のいちばん外側の縁が、翡翠色の瞳のいちばん深い層へまっすぐに置かれた。
——「わからない」を、正直に、大人の目の半寸下のところで置ける人。
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私は膝を折ったまま、小さく頷いた。
頷いた先で、反論の代わりに、十一文字を静かに返した。
「……一度、見ていてください」
十一文字。
カタリナ様の眉の外側の角が、半寸上がった。
「……何を見るって、言うんだ」
十二文字。
「……理屈ではございません。どの子の小さな半寸が、昨日より今日、半寸別のところに置かれたか。それをお母様の目の半寸下の高さのところで、ただ見ていてください」
「……今日、一日か」
「……ええ。ご納得いかなければ、明日の朝から、遊びの午前の光の一筋の半寸隣のところに、石板の升目の薄い線の時間を、ひとつ置き直します」
「……読み書きの、別の時間か」
「……ええ」
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ルーカス様が、自分の椅子の右の縁から半歩、窓の縁へ進まれた。左手の指の第三関節が、窓の縁の板のいちばん低い層に静かに添えられた。
「……カタリナさん」
「……僕は七歳の時、字が読めませんでした」
十九文字。
カタリナ様の眉の外側の角が、半寸上がった。
「……声の回路が閉じていて、『ち、ち』の二音も喉の奥で止まっていました。読むより先に、拍のいちばん外側の一筋を指の腹で数える方が先でした」
「……読み書きは、その半年後に届きました」
「……母の絵本の『ルーカスへ』の五文字を、指の腹で拾えるようになったのは、歌の三拍子のひと拍目の遠い延長線の上のところでした」
カタリナ様の褐色の瞳のいちばん外側の縁が、ルーカス様の窓の縁の左手の指の第三関節に、ひと呼吸留まった。褐色の瞳のいちばん深い層に、小さな明確な別の一粒の温度が半寸昇った。
——坊ちゃんと呼ぼうとしていた子の、七歳の半月の、いちばん奥の一粒。
「……そうかい」
四文字。
——フリーダの六歳の、まだ字を見せられていない指先の温度の半寸上に、七歳で字が読めなかった子の半年の延長線が静かに届いた。
カタリナ様の組もうとしていた腕の、いちばん外側の縁が、半寸下がった。
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カタリナ様はもう半歩、内側へ進まれた。右手の鍬の柄の乾いた木の先は、軒下の右の柱の半寸下に静かに立てかけられた。
「……じゃあ、今日一日。——見せてもらう」
十六文字。
「……井戸の縁の外じゃなくて、——中でか」
「……ええ。——椀の湯気の、いちばん手前の縁のところで」
深い笑い皺のいちばん内側の一筋が、今朝二度目に動いた。今度は、困惑の動き方ではもうなかった。
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昼過ぎ。
板の床の節のところに、子供たちが小さな輪を作った。ヤン君が左の端。リーゼルちゃん、ドロテア様、トビアス様の順に並んだ。ルーカス様は節の半寸外に膝を折って座られた。エミリア様は竃の端の椅子の横で、マティアス様は寝台の縁で、——どちらも歌遊びの輪の外に居た。
カタリナ様は、学び舎のいちばん奥の板の壁の節の外側の縁に立たれていた。腕を組まれた。手の甲の小さな擦り傷の縁に、午後の薄い紅の層の光が半寸落ちた。
褐色の瞳のいちばん外側の縁が、輪のいちばん手前の節の一粒に、ひと呼吸置かれた。腕を組んだ形は解かれなかった。
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私は小さく手拍子を打った。三拍子。いちばん軽い、低い、三小節。
ひと拍目。
——ドロテア様の右の小さな掌が、前掛けの縫い目の縁で半寸持ち上がった。持ち上がったまま、掌は叩かれなかった。叩かれない代わりに、四歳の踵のいちばん薄い一段の皮膚の下が、節のいちばん外側の縁の上で半寸上下した。
三度目の揺れ。
カタリナ様の褐色の瞳のいちばん外側の縁が、ドロテア様の踵の半寸の上下に、ひと呼吸留まった。組まれた腕の手の甲の擦り傷の縁は、動かなかった。
ふた拍目。
——踵の半寸の上下が、もう一度置かれた。
カタリナ様の褐色の瞳のいちばん深い層が、半寸細まった。組まれた腕の手の甲の擦り傷の縁が、半寸動いた。
み拍目。
——踵の半寸の上下に、今日初めて、口の内側の奥の層のごく薄い息の粒が半寸乗った。
音にはならなかった。ならない代わりに、唇の縁の薄い産毛のところが、九度目の震えを半寸重ねた。
カタリナ様は何も言われなかった。言わない代わりに、組まれた腕のいちばん外側の縁が、半寸ゆるんだ。
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トビアス様は、膝の外側に添えていた右手の指の第一関節を、今日は半寸、自分の胸のいちばん低い層へ運ばれた。ふた拍目のところで、胸の層に小さなひと打ちが置かれた。音は立たなかった。
ルーカス様は、節の半寸外で、右手の指の第三関節を膝の上の板の目の一粒に添えられた。ひと拍目のところで半寸上下した。音は立たなかった。
——七歳の閉じた声の回路の下の、拍の回路のいちばん古い一筋の温度。十二歳の指の下で今日もう一度蘇った先で、カタリナ様の褐色の瞳のいちばん外側の縁に半寸届いた。
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歌遊びの三小節が終わった。終わった先で、ドロテア様は、灰緑の瞳のいちばん深い層をゆっくりカタリナ様の方へ上げられた。
カタリナ様は組まれていた腕を下ろされた。下ろした先で、右手の親指と人差し指の間が、半寸ひらかれた。
ドロテア様は立たれた。節のいちばん外側の縁から半歩、カタリナ様の方へ歩かれた。歩いた先で、右の小さな掌が前掛けの縫い目の縁から半寸持ち上がった。持ち上がったまま、掌は叩かれなかった。
叩かれない代わりに、カタリナ様の日焼けした手の甲の擦り傷の縁に、ドロテア様の小さな掌がひと呼吸留まった。留まった先で、唇の縁の薄い産毛のところが、十度目の震えを半寸重ねた。
カタリナ様の褐色の瞳のいちばん外側の縁が、半寸湿った。深い笑い皺のいちばん内側の一筋が、半寸動いた。
今度は、笑いの形でもなく困惑の形でもなかった。——35歳の握りの形の半月分の厚さのいちばん深い底の層の温度が、半寸上の方へ解かれ始めた最初の一筋。
言葉にはしなかった。しないまま、手の甲の擦り傷の縁が、四歳の小さな掌のいちばん外側の一段の皮膚の下の温度と、半寸重なった。
——この人の畑の握りの温度は、掌を硬くするためだけの温度ではなかった。——四歳の掌の半寸外の層のところで、半寸ほどける温度も持っていた。
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カタリナ様の褐色の瞳のいちばん深い層が、ひと呼吸、学び舎のいちばん外の戸口の午後の光の一筋へ置かれた。置かれた先で、小さく息が継がれた。
「……うちのエーリクは四歳だ。——坂の下の、隣のヒルダばあさんのとこに預けてきた」
「……うちのエーリクも、この踵の揺れをやるかい」
二十一文字。
私は膝を折ったまま、小さく頷いた。
「……やってくださると思いますわ。——四歳の踵のいちばん薄い一段の皮膚の下は、どの子のも同じ薄さです」
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夕刻。
庇の下の板の敷石の、いちばん手前の一粒のところに、カタリナ様が立たれていた。
右手の鍬の柄の乾いた木の先は、軒下の右の柱の半寸下からもう一度手の内側へ戻されていた。左の親指の付け根の半月分の厚さの握りの形が、今朝より半寸浅くなっていた。
「……今日の判断は」
七文字。
私は膝を折った。カタリナ様の目の半寸下のところに、翡翠色の瞳のいちばん深い層を静かに置いた。
「……まだございます。——明日も」
「……明日も見る、ってことかい」
「……ええ。ご納得なさるまで。——ただし、その間も、読み書きの別の時間の半寸の隣のところで」
「……読み書き、置いてくれるんだな」
十四文字。
「……ええ。——ヨハン様にも、フリーダ様にも、エーリク様にも、それぞれの半寸の高さで」
カタリナ様の褐色の瞳のいちばん深い層が、半寸揺れた。「様」を付けられた三つの名前のいちばん外側の縁に、半月分の鍬の柄の握りの形の、いちばん深い底の層の温度が、半寸薄く解かれた。
「……様、いらねえ。——あいつらにも、いらん」
十七文字。
「……では、ヨハンさん、フリーダさん、エーリクさん、と」
カタリナ様は半歩下がらなかった。下がらない代わりに、左の親指の付け根の半月分の厚さの握りの形が、今日のいちばん最後の一拍分また浅くなった。
「……半寸、ねえ」
五文字。
声のいちばん外側の縁の層のところに、今朝の二十文字「遊ばせてるだけで、教育なんて、笑わせるね」の、乾いた木の先の握りの形の半月分の厚さの層の温度は、もう残っていなかった。褐色の瞳のいちばん深い層に、別の一粒の温度が、小さな、けれども明確に半寸置かれていた。
——「わからない」を「わかる」の隣に置いてみようとする人の目。
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「……じゃあ、うちのも見ていくよ」
十四文字。
「……明日の朝、エーリクを連れてくる。——星型の人参の輪切りってのが、どんな形をしてるのか、あいつにも見せてやりてえ」
「……フリーダはあさって、ヨハンは畑の手伝いの半寸隣のところで、合間に」
「……ええ。——五つ目の椀のほかに、もう三つ椀を並べておきますわ。湯気のいちばん手前の縁が浅くならないうちに」
カタリナ様の唇の縁が、今日初めて半寸動いた。笑い皺のいちばん内側の一筋が、半寸深くなった。言葉にはしなかった。しない代わりに、右手の鍬の柄の乾いた木の先が、半寸軽くなった。
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トビアス様は半歩、カタリナ様の方へ進まれた。
「……エーリク、連れてくるんなら、俺が手を引くよ」
二十二文字。
カタリナ様の褐色の瞳のいちばん深い層が、半寸湿った。
「……ああ、頼むよ」
六文字。
トビアス様の首のうしろの筋の半寸の張りが、もう半寸下りた。下りた先で、ドロテア様の唇の縁の薄い産毛のところが、十一度目の震えを半寸重ねた。
レオンが、教卓の白墨の「息の形に拍が乗る」の八文字の半寸下に、もう一つ小さな字で書き加えた。
「腕が、半寸、ひらく」。
九文字。
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夜。
竃の朱い炎のいちばん奥の、赤い残り火の一粒が、薄い橙の層を保っていた。三人の寝息が、板張りの小部屋のいちばん低い層のところで、ひとつに均されていた。
ルーカス様の右手の指の第三関節は、外套の左の胸のポケットの薄い布の縁に、昨夜よりもう半寸深く添えられていた。
ポケットの下には、ヘルガさんの「H」の紙切れの温度、一昨夜の私の一粒の湿りの温度、昨夕のトビアス様の「明日」の温度、そして今日のカタリナ様の「半寸、ねえ」の五文字の温度が、静かに並んでいた。
——自分の閉じた声の回路のいちばん古い一筋を、今日初めて、他人の子の母親の「わからない」の半寸下のところに渡した。渡したことで、この子の胸のいちばん下の層に、新しい一筋が半寸昇っていた。——「渡せる」という一筋。
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私は、竃の端の椅子の膝の上の、四冊目の観察記録ノートに、もう一行、静かに置いた。
「カタリナさん。——腕が、半寸、ひらく」
点は、打たなかった。
——「遊ばせてるだけ」の二十文字は、今日、理屈の反論では返さなかった。返さない代わりに、ドロテア様の踵の半寸の上下の、三拍子のひと拍目のところで、辺境の母の組まれた腕のいちばん外側の縁が、半寸ひらいた。
——理屈ではありません。半寸、です。
声にはしなかった。しない代わりに、新しい一行の点の打たれなかった縁のところに、明日の朝の四歳のエーリク様の、踵のいちばん薄い一段の皮膚の下の温度を、静かに預けた。
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戸口の板の縁の外のところで、レオンの深い緑の瞳の静かな迎えの温度が、昨夜よりもう半寸近くまで届いていた。
竃の赤い残り火のいちばん奥の一粒の薄い橙の層のところに、今夜もう一筋、——辺境の母の「半寸、ねえ」の五文字の下の層の、明日の朝の予感の温度が、静かに昇っていた。
——水と油の、次の半寸。
明日の朝の五つ目の椀の、湯気のいちばん手前の縁のところに、ひと匙分預けた。そしてもう一つ、新しい椀の空の縁のところに——四歳の末っ子の、星型の人参の朱の輪切りのひと粒分の温度が、静かに置かれるのを待っていた。