弟子入り志願
2026年2月22日
2026年2月22日
◆シオン視点
中庭に、剣の音が聞こえる。
朝食を終えて、自分は——廊下に立っていた。何をしていいかわからなかった。
教会では、次の命令が来るまで待機する。それが普通だった。
起床。食事。訓練。食事。哨戒。食事。就寝。全てに時刻があり、号令があった。
ここには——何もない。
号令もない。時刻表もない。「次に何をしろ」と言ってくれる人がいない。
足が——勝手に動いた。
剣の音がする方へ。
---
中庭の端。石畳の広場。
ヴェルザが——一人で剣を振っていた。
銀白色の髪が揺れる。黒と金の軍服。金色の目。185cmの長身が、無駄なく動く。
一振り。二振り。三振り。
教会の剣術とは違う。型が違う。呼吸が違う。——重心が違う。
教会の剣は「正しい剣」だった。教本通り。一ミリの狂いもない。完璧な剣。
ヴェルザの剣は——完璧ではない。だが美しい。一振りごとに、意志がある。
……意志。
自分の剣には——何があるのだろう。
教会の教本。教会の型。教会の呼吸。教会の剣。
自分のものは——何もない。
「——何用か」
ヴェルザが止まった。金色の目がこちらを見ている。
「……失礼しました。見学のつもりでは——」
「構わん。——が、用があるなら述べよ」
用。
自分は——何のためにここに立っている。
命令ではない。誰にも「ヴェルザのところに行け」とは言われていない。
足が動いたのだ。勝手に。剣の音に引かれて。
胸の奥で——昨日と同じものが動いた。名前のない何か。
温かくて、苦しくて、もどかしい。
でも今は——もう少しだけ、形がわかる。
「……剣を」
声が出た。自分の声。
「……教えていただけますか」
ヴェルザの金色の目が——微かに動いた。
「お前は聖教会の剣士であろう。正規訓練を受けた者が、魔族に剣を学ぶというのか」
「……はい」
「理由を聞こう」
理由。
教会なら答えは簡単だった。「命令です」。それで全てが済んだ。
でも——違う。
「……命令ではありません」
「自分の……意志です」
言った。
自分で——言った。
二日続けて、自分の意志で。
昨日は「残ります」だった。今日は——「教えてください」。
教会の訓練で抑え込んだ何かが、また一つ、表に出た。
ヴェルザが——しばらく黙っていた。
金色の目が、灰色の目を見ていた。値踏みでも審査でもない。ただ——見ていた。
「……よろしい」
短い言葉だった。
教会の訓練官なら「努力を惜しまぬ覚悟はあるか」「誓いを立てよ」と長い儀式があった。
ヴェルザは——「よろしい」だけだった。
「明朝より。日の出と共にここに来い。——遅れるな」
「……了解——」
了解しました、と言いかけて、止まった。
「……はい」
軍隊式ではなく。命令への応答ではなく。
ただの——返事。
ヴェルザが剣を収めた。背を向けた。
——その背中が、ほんの少しだけ。ほんの少しだけ、緩んだ気がした。
300年の背中に、何が見えたのかは——自分にはまだわからない。
---
◆ミーナ視点
メル様が——紅茶を淹れていた。
食堂の窓際。紫色のローブ。淡い紫の目。優雅な指先。
紅茶の香りが廊下まで漂ってきた。
「あら。ミーナ」
気づかれた。廊下の角に立っていただけなのに。
「す、すみません。覗くつもりは——」
「構いませんわ。——お茶、いかが?」
いかが、と聞かれた。
教会では聞かれなかった。「飲みなさい」か「飲むな」かのどちらかだった。
「……いただきます」
席に座った。メル様がカップを差し出す。
「——あなた、朝から所在なさそうでしたわね」
「……は、はい。何をすればいいか、わからなくて……」
「命令がないから?」
「…………はい」
見抜かれている。水色の目がメル様の淡い紫を見た。
メル様は——微笑んでいる。目も口も笑っている。でも、どこか違う。よしこ様の笑顔とは違う。計算がある。でも——嫌な計算ではない。
「わたくしはね、ミーナ」
メル様が紅茶を一口飲んだ。
「この城で一番弱い四天王ですわ。腕力はドルガの十分の一。剣はヴェルザに到底及ばない」
窓の外を見た。淡い紫の目が光を受けた。
「でも——情報はわたくしの領域でございますわ。見ること。知ること。考えること。力がなくても、戦えますのよ」
わたしは——回復しかできない。
攻撃魔法は使えない。剣も振れない。盾も持てない。
わたしの価値は回復魔法。教会にそう言われた。
「……メル様は。その、力がないことを……怖くないですか」
「あら。怖いですわよ」
あっさりと言った。
「でもね。怖いから考えるのですわ。考えて、観察して、分析して。——それが、わたくしの剣でございますわ」
知性が——剣。
「わたくし、嘘は得意でございますわ。でもあなたは——嘘がつけないでしょう?」
心臓が跳ねた。
「……わかるんですか」
「見ていればわかりますわ。あなたの笑顔は——教わった形ですもの」
微笑みが崩れそうになった。いつもの「大丈夫です」を言おうとした。
「——でも、それは悪いことではございませんわ」
メル様がカップを置いた。
「嘘がつけない人間は、真実を選べる。——それはわたくしにはない強みでございますわ」
真実を——選ぶ。
嘘がつけないことが——強み。
考えたことがなかった。教会では「笑いなさい」と言われた。笑えなければ価値がないと。
でもメル様は——笑えないことを強みと言った。
「……メル様」
「何かしら」
「わたし……教えていただきたいことが、あります」
自分で言った。シオン隊長の命令ではない。
胸の奥で——何かが動いた。小さくて、温かい。
「あら。何を?」
「……見ること。知ること。考えること。——回復しかできないわたしでも、できることを」
メル様が——淡い紫の目を見開いた。
一瞬だけ。ほんの一瞬だけ、計算の顔が消えた。
「……ふふ」
笑った。今度は——目が笑っていた。
「よろしい。——明日から、わたくしのお茶の時間にいらっしゃい。紅茶の淹れ方から教えて差し上げますわ」
「紅茶……?」
「情報収集の基本は、相手にお茶を出すことでございますわ」
わからなかった。でも——メル様についていきたいと思った。
命令ではなく。
紅茶を飲んだ。温かかった。
——シオン隊長。わたしも、自分で選びました。
---
◆シオン視点
稽古が終わった。
ヴェルザの型を一つだけ教わった。基本の構え。教会の構えとは足の開き方が違う。腰が低い。
一時間。たった一つの型を繰り返しただけで——汗だくだった。
「構えが高い。重心を落とせ」
「……了解」
「『了解』ではない。返事は『はい』で良い」
「……はい」
ヴェルザが不思議な顔をした。300年分の経験が、ほんの少し困惑している。
教会の剣を一度全部捨てろ——とは言わなかった。ただ「足の幅を変えろ」と言っただけだった。
それだけで——剣が変わった。ほんの少し。ほんの少しだけ。
石段に座った。息を整えている。
ヴェルザが隣に立っている。立ったまま。座らない。
「よーい、お茶の時間やで(^^)」
声が聞こえた。振り返った。
よしこ——殿が、盆を持ってきた。
茶碗が二つ。湯気が立っている。小さな菓子が添えてある。
「おっ、二人で稽古してたん? えらいなぁシオンくん(^^)」
「……えらいのですか」
「自分でやりたいって言うたんやろ? それがえらいんよ(^^)」
えらい。
教会では——「当然だ」と言われた。完璧にこなすのが当然。それ以上の評価はない。
ヴェルザが茶碗を受け取った。
「……魔王様。稽古場に差し入れなど……」
「ええやん(^^) 汗かいた後は水分補給や(^^)」
「水分補給。——そういう問題では……」
「ヴェルちゃんも飲み(^^)」
「…………かしこまりました」
ヴェルザが——茶を飲んだ。
金色の目が——ほんの一瞬、閉じた。
「……悪くない」
小声で言った。聞こえないように言ったつもりだろう。聞こえた。
自分も茶を飲んだ。
温かい。苦くない。甘い香りがする。
「……これは」
「ほうじ茶(^^) ガルくんが焙じてくれてん。この世界にもお茶の葉があってよかったわぁ(^^)」
よしこ殿が菓子を差し出した。小さな焼き菓子。
「はい、おやつ(^^) 頑張った後は甘いもんや(^^)」
菓子を受け取った。一口かじった。
甘い。——甘い。
「……自分は」
声が出た。
「……こういうものを、食べたことがありませんでした」
「せやろな(^^) 教会のごはん、あんまり美味しくなかったんやろ?」
「……はい」
嘘をつかなかった。素直に——答えた。
よしこ殿が笑った。深紅の目が細くなった。
「ほな、毎日持ってくるわ(^^) 稽古の後のおやつや(^^)」
「魔王様。稽古の後におやつなど——」
「おやつは大事やで、ヴェルちゃん(^^) 園長経験者が言うんやから間違いない(^^)」
「ここは保育園ではございません」
「一緒やて(^^)」
ヴェルザが300年分のため息をついた。
でも——菓子を一つ取った。
---
厨房の方から、声が聞こえた。
ガルド殿と——トールの声だ。
「トールくん、そこの鍋取って!」
「……この鍋か」
「そう! でかいやつ!」
「……でかい」
「トールくんがでかいから大丈夫だよ!」
「……そうか」
トールが——厨房に居座っている。昨日から。
命令されていないのに。シオン隊長の指示もないのに。
ガルド殿の隣に立って、鍋を持って、皿を並べている。
——トールもか。
自分はヴェルザ殿に剣を。ミーナは——どこかで何かを。トールは厨房に。
誰にも命令されていない。
全員が——自分で動いている。
茶を飲んだ。ほうじ茶。温かい。
自分で選ぶということは——こういうことなのかもしれない。
まだよくわからない。
でも——悪くない。
ヴェルザの金色の目が、こちらを見ていた。
「明朝。日の出と共にだ」
「……はい」
返事は——「了解」ではなく、「はい」だった。
菓子をもう一つ取った。自分で。
甘かった。
---
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第46話「弟子入り志願」。Arc5「魔王城の新入園児」の二話目です。
シオンが自分の意志で「剣を教えてください」と言ったシーン。この子にとって、これは「残ります」に続く二度目の自発的な選択です。15年間、命令以外の理由で動いたことがなかった少年が、剣の音に引かれて足を動かした。教会の「正しい剣」ではなく、ヴェルザの「意志のある剣」に惹かれたこと。それ自体が、シオンの中に「自分の意志」が芽生え始めている証拠です。
ヴェルザの「よろしい」が短いのは、言葉がいらないからです。300年の軍人は、覚悟を見れば十分。
ミーナとメルの師弟関係も動き出しました。「嘘がつけないことは強み」——メルにとって、嘘をつけない人間は珍しいのでしょう。策士が嘘のつけない少女に教えるのは「情報収集」で、その最初の一歩が「紅茶の淹れ方」。メルらしい。
そしてトールは、誰にも言われずに厨房に立っています。三人とも、自分で居場所を選び始めた。「命令の剣」から「意志の剣」へ。「作り笑い」から「本物の知略」へ。「壊す盾」から「焼くパン」へ。師弟の組み合わせが、これから物語を動かしていきます。
ブックマーク・評価をいただけると、稽古後のおやつがもう一つ増えます。感想もお待ちしています。