魔王の授業参観
2026年2月22日
2026年2月22日
◆ガルド視点
あの子が——気になる。
トールくん。新しい勇者パーティの前衛。
白い鎧。大きな盾。赤銅色の短い髪。身長は——僕とほぼ同じだ。肩幅も同じ。手のひらの大きさも、たぶん同じ。
同じ。
でも、違う。
僕はもうエプロンをしている。あの子はまだ鎧を着ている。
新しい勇者たちが来て三日目の朝。トールくんは——今日もずっと、廊下に立っている。
客間の前に直立不動。盾を持って。鎧を着て。誰も攻めてこないのに。
僕も——昔はそうだった。
魔王城に来たばかりの頃、レオンたちが寝ている部屋の前で、ずっと立ってた。
前衛だから。体がでかいから。それが僕の役割だから。
座っていいって思えなかった。
よしこさんが来るまで。
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◆トール視点
魔王城の朝は静かだ。
教会の朝は鐘が鳴る。起床、洗顔、整列、点呼。全てが決まっている。
ここには鐘がない。代わりに——パンの匂いがする。焼きたてのパン。バターが溶ける匂い。
「あ、あの……トールくん」
声がした。小さい声。
振り向くと——大きい人がいた。
俺と同じくらい大きい。いや、少し大きい。190cmはある。茶色の短髪。困ると眉が下がる——今、下がっている。
ガルド殿だ。先代勇者パーティの前衛。
だが——鎧を着ていない。
白いエプロンをしている。手に木のトレイを持っている。パンと、スープと、焼いた卵。
「あ、あの……朝ごはん、持ってきました……」
「……俺は、任務中だ」
「え、えっと……ここ、戦場じゃないから……廊下、寒いし……」
ガルド殿の声が小さい。俺と同じくらいの体をしていて、俺よりずっと声が小さい。
不思議な人だ。前衛なのに。
「……パン、冷めちゃうので……よかったら……」
腹が鳴った。
「…………」
「……あ、あの、聞こえてないです。聞こえてないことにします」
ガルド殿が顔を赤くしている。
——食事は任務遂行に必要な行為だ。シオン隊長もそう判断したはずだ。
「……いただく」
トレイを受け取った。パンが三つ。スープの器が大きい。卵が二つ。
「い、一緒に食べてもいいですか? 僕も、まだ食べてなくて……」
二人で廊下に座った。壁に背中をつけて、足を伸ばした。二人分の足で、廊下がほぼ埋まった。
——柔らかい。
教会のパンは硬かった。三日前のパンを水で戻して食べた。
これは違う。ちぎった瞬間に湯気が出た。噛むと甘い。
「……これ、誰が焼いた」
「あ……ぼ、僕です……」
「……ガルド殿が?」
「えへへ……よしこさんに教えてもらって……」
前衛がパンを焼く。理解できない。
だが——このパンは美味い。
「……美味い」
「ほ、本当ですか!? えへへ……」
190cmの体が、嬉しそうに縮こまった。
スープを飲んだ。温かい。玉ねぎが甘い。——四杯は飲める。
「おかわり……いいか」
「あ! はい! 厨房に行けばまだ——」
ガルド殿が立ち上がった。大きい体がものすごい勢いで走り出して——足が滑った。
「わっ……!」
「…………大丈夫か」
「だ、大丈夫です……えへへ……」
前衛が廊下で転びかけている。
理解できない。だが——悪くない。
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◆ガルド視点
おかわりのスープを二つ持って廊下に戻った。
トールくんが座っている。さっきの場所。壁に背中をつけて。
「はい、おかわり」
「……ありがとう」
隣に座った。肩がぶつかる。185cmと190cm。合わせて375cm。二人分の肩幅で廊下を占領している。
通りかかったレオンが足を止めた。
「……邪魔」
「あっ、す、すみません!」
「すみ——」
「冗談だよ。そのまま食ってろ、でかぶつ二号」
レオンがニヤッと笑って通り過ぎた。
「……でかぶつ一号は、俺か」
「あ、あの……僕が一号だと思います……」
「……そうか」
スープを飲んだ。二人とも。同じタイミングで器を傾けて、同じタイミングで下ろした。
「…………えへへ」
「……なぜ笑う」
「同じだなって思って。体の大きさも、食べる量も……えへへ」
同じなのは、それだけじゃない。
知ってる。トールくんの目。廊下に立って、鎧を着て、盾を持って——怖い顔をしてるんじゃない。
怖い顔が、できないんだ。
僕もそうだった。体がでかいから前衛にされた。「お前は強い」って言われた。
でも——怖かった。戦うのが怖くて、でも「怖い」って言えなかった。
「……トールくん。聞いていい?」
「……聞け」
「……戦うの、怖い?」
トールくんの手が止まった。パンを持ったまま、固まった。
「……俺は、前衛だ。盾役だ。怖いかどうかは、関係ない」
「……うん」
「……命令に従っているだけだ。体が大きいから前衛に選ばれた。盾を持たされた。……それだけだ」
それだけで、戦場に立たされた。
「……僕もそうだった」
トールくんが顔を上げた。
「僕も、体がでかいから前衛にされた。農家を継ぎたかったのに。剣を渡されて、『お前は戦士だ』って言われて……」
「……ガルドも?」
「うん。同じ」
トールくんの目が——揺れた。硬い目が、少しだけ、緩んだ。
「……ガルドは。今、鎧を着ていない」
「うん」
「エプロンをしている」
「うん……えへへ」
「……なぜだ」
なぜ僕は鎧を脱いでエプロンをしているのか。
「……よしこさんが、言ってくれたんだ」
あの日のことを思い出す。魔王城に来て、怖くて、震えて、でも鎧を脱げなくて。
よしこさんが——しゃがんで、僕の顔を見て。
「『無理せんでええんやで』って。『あんたはあんたのままでええ』って」
トールくんが黙った。
「それで僕……初めて泣いたんだ。こんなでかい体で、ボロボロ泣いて……恥ずかしかったけど」
泣いたあとに、よしこさんが背中をさすってくれた。大きくて不格好な僕の背中を、小さな手で。
「ガルくんはお料理上手やなぁ」って言ってくれて——僕、剣より包丁の方が得意だった。
トールくんが、空っぽのスープの器を見ている。僕が作ったスープが入っていた器。
「……俺は」
トールくんの声が、小さくなった。
「……俺は、盾しか持てない。料理なんかしたことない。戦うことしか教わっていない」
「……うん」
「でも——」
トールくんの肩が、震えた。大きな肩。僕と同じくらい大きな肩が。
「……戦うのは、怖い」
言った。
たぶん、初めて言った。大きい体が、小さくなっていた。
「……怖いのに、誰にも言えなかった。体がでかいから。前衛だから。怖いなんて——言っちゃいけないと思ってた」
知ってる。全部知ってる。だって僕も同じだったから。
僕は——自分のパンをちぎって、トールくんの皿に置いた。
「……トールくん」
「……何だ」
「無理しなくていいんだよ」
トールくんの目が、大きく見開かれた。
「戦うのが怖くても、いいんだよ。トールくんは——トールくんのままでいいんだよ」
よしこさんの言葉だ。僕の言葉じゃない。よしこさんがくれた言葉を、僕がトールくんに渡しているだけだ。
でも——渡せてよかった。
トールくんの目から——一滴、落ちた。
大きい手でごしごしと目を擦った。
「……俺は。泣いてなど——」
「……泣いてないよ。見えてない。えへへ」
嘘だ。見えてる。でもいい。僕も泣いた時、レオンが「見てねぇよ」って言ってくれた。
二人で並んで座って、パンを食べた。
190cmと185cm。でかぶつ一号と二号。廊下を埋め尽くす足と肩。
「……ガルド」
「うん?」
「殿は、いらない」
「え?」
「ガルド、でいい」
トールくんの声が——少しだけ、柔らかくなった。
「……うん。ガルド、でいいよ。えへへ」
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◆よしこ視点
廊下の角から覗いてた。
ばれてないかな。たぶんばれてない。二人とも自分たちの世界に入ってたから。
ガルくんとトールくん。並んで座ってパン食べてる。でかい。めちゃくちゃでかい。二人分の足で廊下が通れへん。
でも——ええ景色やなぁ。
ガルくんが「無理しなくていいんだよ」って言った時。
あの言葉——わてが言うた言葉や。ガルくんに「無理せんでええんやで」って言うた、あの言葉。
あの子が、ちゃんと受け取って、自分のものにして、次の子に渡してる。
——あかん。泣く。
保育士40年やってきて。園児が「せんせい」の真似をして、年下の子に優しくする瞬間が、一番泣ける。
教えたんちゃう。あの子が自分で見つけたんや。
「ガルくん、えらいなぁ……」
声が漏れた。小さく。目が熱い。
ティアちゃんが追加のパンを持って廊下を曲がってきた。わてを見て、首を傾げた。
「魔王さま……? 泣いてらっしゃるんですか……?」
「泣いてへんよ(^^) パンの匂いが目にしみただけや」
「パンの匂いが目に……?」
「ほら、あの子らにパン持っていったり(^^)」
「は、はい!」
ティアちゃんがぱたぱた走っていった。尻尾がピーンと立ってる。
廊下の奥で、二人にパンを渡してる。
トールくんが「……ありがとう、ございます」って言った。小さい声で。でかい体で。
ガルくんが横で「えへへ」って笑ってる。
トールくんが——ちょっとだけ、口角を上げた。
笑い方がわからへんから、ぎこちない。でも——笑おうとしてる。
よっしゃ。
今日のおやつは多めに作ろ。でかぶつ二人分、たっぷりと。
蜂蜜飴も追加で作っとこ(^^)
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【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第39話「魔王の授業参観」。タイトルの「授業参観」は、よしこが廊下の陰からこっそり見守っている姿からつけました。保育園の先生が、卒園した子が年下の子に優しくしている姿を見かけた時の気持ちです。
ガルドとトール。190cmと185cm。合わせて375cm。廊下に座ると通行止めです。レオンに「邪魔」と言われても仕方ありません。
二人の共通点は「体がでかいから前衛にされた」こと。本人の意志じゃない。ガルドは農家を継ぎたかった。トールは——まだ「自分が何をしたいか」を考えたこともない。
ガルドが「無理しなくていいんだよ」と言えたこと。これがArc4でガルドに用意していた成長のピークです。よしこの言葉は、こうやって伝染します。先生から園児へ。園児からまた次の子へ。優しさのリレーです。
そしてトールが「ガルド殿」から「ガルド」に変えたシーン。書いていて一番嬉しかったです。
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