魔王よしこ、今日も元気です
2026年2月22日
2026年2月22日
◆よしこ視点
——卒園式から、数ヶ月が経った。
朝。
煙突から——煙が出とる。
ガルくんが竈に火を入れた匂い。パンの生地が発酵する匂い。トールくんが薪を割る音。
いつもの朝。
窓の外が白んできた。冬が終わって、春の手前。朝の光がちょっとずつ早くなってきた。
ティアちゃんが——もう門を開けとる。
毎朝一番。誰よりも早く起きて、門を開けて、廊下を掃いて。
「おはようございます、よしこ様」
すれ違った時に——ティアちゃんが言うた。
自分から。小さい声やけど、はっきり。尻尾がパタパタしとった。
「おはよう、ティアちゃん(^^)」
——120年、誰にも名前を呼ばれへんかったこの子が。
毎朝「おはよう」を自分から言えるようになった。
それだけで——もう、十分やねん。
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◆よしこ視点
食堂のテーブルに手紙が置いてある。
ティアちゃんが朝いちばんに門を開けた時、伝令鳥が届けてきたらしい。
封筒を開けた。
——字が、下手。
相変わらず下手。ドルガより下手。もう少し練習しなさい。
『よしこへ
元気だ。
今は海のある町にいる。海を見た。でかい。しょっぱい。なんであんなにしょっぱいんだ。
魚を焼いてくれる店があった。美味い。でもよしこのシチューのほうが美味い。
リーゼとガルドに伝えてくれ。俺は元気だ。
パンが恋しい。ガルドのパン送れ。
字はまだ下手だ。練習する。
レオン』
——ぷっ。
笑ってしもた。
「パンが恋しい」って。「送れ」って。手紙で食べ物をせがむな。あんたは。
でもな。
レオンくんが「字はまだ下手だ」って——自分で書けるようになったんよ。字が読めなかった子が。手紙を書いて、送ってくる。
自分の名前を書いてる。「レオン」って。
——あの子は、もう大丈夫や。
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手紙を食堂の壁に貼った。前の手紙の隣に。もう五通目。
全部貼ってある。字が下手な手紙が五枚、食堂の壁にずらっと並んどる。
「よしこー、レオンの手紙?」
「海! ボクも行きたいー!」
ピプが飛んできた。水色のぼさぼさ髪がぴょんぴょん揺れとる。羽根がぱたぱた。
80歳。変わらへん。おやつの時間に結界を張るのも変わらへん。
「ピプ、先に顔洗ってき(^^)」
「えー」
「顔洗ってから手紙読みなさい」
「はーい……」
ぱたぱた飛んで行った。
——変わらへん。この子は変わらへん。
でもそれでええ。変わらへんことも——大事なんよ。
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◆よしこ視点
厨房を覗いた。
パンの匂い。
ガルくんが——粉まみれで生地をこねとる。190cmの体が作業台に屈みこんで、大きな手で生地を丸めている。
隣でトールくんが天板にパンを並べとる。同じ190cm。二人並ぶと厨房が狭い。
「よしこさん、おはようございます!」
「おはよう、ガルくん(^^) 今日は何のパン?」
「えっと、くるみパンと、蜂蜜パンと——あと、新しいの試してみてて」
「おー。新作やん」
ガルくんが——笑った。えへへ、って。あの笑い方は変わらへん。
でも——手が止まらへん。以前は「僕なんか」って止まっとった手が、今はずっと動いとる。迷いなく。パンをこねる手。自分の夢を形にする手。
トールくんが「味見してください」って小さいパンを差し出した。朴訥な顔。この子もガルくんの隣で変わった。命令やなくて、自分でここにおる。
「美味い(^^)」
「え、えへへ……」
二人して「えへへ」って。190cmが二人で「えへへ」って。——かわいいな、もう。
魔王城の一角に「パン屋」の看板が出たのは先月のこと。ガルくんが木の板にトールくんと二人で文字を彫った。
近くの魔族の集落から、パンを買いに来る者が増えた。最初は怖がっとったけど——パンの匂いは敵も味方もない。
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◆よしこ視点
書庫を通りかかった。
リーゼちゃんが——メルちゃんと並んで、机に向かっとる。
古文書が広げてある。新しいやつ。ヴォルグラーナの解読が終わってから、メルちゃんは別の古い文書に取りかかっとるらしい。リーゼちゃんが分析魔法で補助しとる。
二人の間に——茶が二杯。
ティアちゃんが淹れたんやろうな。
「……この記号、先代の手記の表記と一致しますわ」
「……ここも」
「まあ。リーゼ殿、見事ですわね。わたくしが3日かかる照合を——」
「メルが教えた。分析魔法の応用」
「……ッ。——褒められたのかしら」
「褒めた」
メルちゃんが固まっとる。180年の策士が、弟子の一言で無防備になる。
声をかけんと通り過ぎた。邪魔したらあかん。あの二人は——あのままがええ。
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◆よしこ視点
中庭の花壇。
ヴェルちゃんが——水をやっとる。
銀白色のオールバック。軍服。金色の目。——じょうろ。
魔王軍四天王筆頭が、じょうろで花に水をやっとる。
先代魔王が「花を植えたかった」と遺した場所。今はよしこが植えた花が咲いとる。黄色い花と白い花。名前は知らへん。ヴェルちゃんが調べて教えてくれた。
「ヴェルちゃん(^^)」
「魔王様。——おはようございます」
「花、元気やな」
「はい。昨晩の雨が良かったのかと」
ヴェルちゃんが——花を見た。
目尻が——少し、緩んだ。
笑った。
小さい笑み。300年生きてきた顔に浮かぶ、ほんの少しの柔らかさ。
本人は気づいてへんやろう。この人はいつもそう。笑ってる自覚がない。
「ヴェルちゃん、今日ドルガ来る日やったっけ」
「はい。月に一度の——」
「パンの日やな(^^)」
「……あの者は『用事があるから来ただけだ』と毎回申しますが」
「パン食べに来とるだけやもんな(^^)」
「はい。——毎回、4個食べて帰ります」
「増えとるやん(^^) 前は3個やったのに」
「……はい。増えております」
ヴェルちゃんが——また少し、目尻を緩めた。
二回。今朝二回目。
300年。この人はずっとこの城を守ってきた。先代の孤独も、魔王軍の混乱も、全部背負ってきた。
今——花壇に水をやっとる。笑っとる。
それだけで——もう。
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◆よしこ視点
午前中、カインくんから手紙が届いた。
レオンくんのと違って、字がきれい。騎士やな。
『魔王よしこ殿
王都は穏やかです。和平は順調に進んでおります。
シオンは騎士見習いとして訓練を始めました。「自分で選んだ」と本人が申しております。一人称は「俺」です。
ミーナは回復魔法士として王都の医療院で働き始めました。よく泣きます。よく笑います。両方できるようになりました。
二人とも元気です。ごはんはちゃんと食べています。
グレイヴス殿は先月、教会を辞められました。詳細は存じませんが、「もう門の前に立ち続けることはやめた」と仰っていました。
時々、そちらにごはんを食べに伺うかもしれません。
カイン』
——シオンくんが「俺」って。
カインくんが律儀にそれを報告してくれるの、なんか——ええな。
あの人は最初から「外から見てる人」やった。一番冷静で、一番まともで。でも——シチューを飲んだ時、手が止まった人。
ミーナちゃんが「泣けて笑える」ようになった。教会で教わった作りものの笑顔やなくて。泣いた後の、本物の顔。
グレイヴスさんが——教会を辞めた。
「門の前に立ち続けることはやめた」って。
あの人も——やっと、門をくぐったんやな。
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◆よしこ視点
昼過ぎ。
ドルガが来た。
210cm。巨漢。大きな角。赤黒い短髪。
門をくぐって——まっすぐ厨房に向かった。
「用事があるから来ただけだ」
「おかえり(^^)」
「帰ってきたわけではない」
「はいはい(^^) パンあるで」
ガルくんが焼きたてのくるみパンを出した。ドルガが「一つだけもらう」と言って——手に四つ取った。
トールくんが「増えてます」と言うたら「黙れ」と返した。
パンをかじりながら——ドルガが食堂の壁を見た。
レオンくんの手紙が五枚。
「……小僧の字は相変わらず下手だな」
「あんたのほうが上手いもんな(^^)」
「当然だ」
——ドルガが満足そうに鼻を鳴らした。
あんたも字の勉強、続けとるやろ。ヴェルちゃんから聞いとるで。部下に手紙書いとるって。
パンを食べ終わったドルガが、ヴェルザと中庭で立ち話をしとる。二人の背中。300年と250年の付き合い。
月に一度、パンを食べに来て、ヴェルザと話して、帰っていく。
「用事があるから来ただけだ」って毎回言う。
用事はパンやろ。知っとるわ(^^)。
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◆よしこ視点
夕方。
グレイヴスさんが来た。
大司教の白と金の服ではなかった。灰色の、質素な旅服。杖は持っている。
門をくぐるのに——もう、迷わなかった。
「……こんにちは」
「おー、グレイヴスさん(^^) ごはん食べてく?」
「……はい」
食堂に座った。いつもの席。テーブルの端。
ティアちゃんがスープを出した。グレイヴスさんが「ありがとう」と言うた。小さい声で。
スプーンを取る手は——もう震えてへん。
「……温かい」
毎回、同じことを言う。毎回、スープを飲んで「温かい」と言う。
他の言葉はまだ見つからへんらしい。
でも——ええ。それでええ。「温かい」でええ。
教会を辞めた58歳が、月に何度か、魔王城にごはんを食べに来る。
門の前で一晩立ち尽くした人が、今は迷わず門をくぐって、「こんにちは」と言うて入ってくる。
——あんたも、変わったなぁ。
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◆よしこ視点
夜。
みんなが寝静まった後。
食堂で一人、お茶を飲んどる。ヴェルちゃんが淹れてくれた先代の茶器で。
——静かやな。
レオンくんがおったら「うるせぇ」って言うてるとこ。ガルくんが「おかわりいいですか」って聞いてるとこ。ドルガとレオンくんが鶏肉取り合っとるとこ。ピプが「おやつまだー?」って言うてるとこ。
でもな。
静かでも——寂しない。
この城には、まだ匂いが残っとる。パンの匂い。花壇の土の匂い。洗濯物のせっけんの匂い。
煙突から煙が出とる。毎朝。ガルくんが竈に火を入れるから。
ピプが空から見た景色——「煙が出てるって、みんながいるってことなの」。
あの子が言うた通りや。煙が出とる。みんながおる。
テーブルの上にレオンくんの手紙。壁に五枚。
カインくんからの手紙。シオンくんが「俺」って言えるようになったこと。ミーナちゃんが泣けるようになったこと。
全員が——自分の足で歩いとる。
保育園で40年、何百人の子どもを送り出した。卒園した子が大人になって、自分の子どもを連れて園に来ることもあった。
やること——同じやな。
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◆よしこ視点
翌朝。
ティアちゃんが門を開ける音で目が覚めた。
煙突から煙が上がっとる。ガルくんが竈に火を入れた音。トールくんが薪を割る音。
いつもの朝。
着替えて、廊下に出て。
ティアちゃんとすれ違った。
「おはようございます、よしこ様」
「おはよう(^^)」
食堂に向かおうとした時——ティアちゃんが、足を止めた。
「あの——よしこ様」
「ん?」
「門の前に——小さい方が、一人、立っておられます」
尻尾がぴーんとなっとる。心配しとる時の尻尾。
「小さい?」
「はい。——子ども、だと思います。朝、門を開けたら——おられました」
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門に向かった。
朝の光。石の門柱。
門は——開いている。
ティアちゃんが開けた門。毎朝一番に開ける門。
その前に——影。
小さい影。
門の前に——立っている。
「…………」
顔は——見えへん。フードを被っとる。ボロボロのマント。小さい体。
立ち尽くしとる。門の前で。入れへんくて。
——知ってる。この景色。
保育園の入園式の朝。門の前で動けへんくなる子。
レオンくんがボロボロで来た日。リーゼちゃんが何も食べてへんかった日。ガルくんがおどおどしとった日。
グレイヴスさんが一晩中立っとった夜。
みんな——同じ顔をしとった。
「ここにいていいの?」って顔。
この子も——同じ目をしとるんやろう。
---
門をくぐった。外に出た。
朝の空気が冷たい。春の手前の、まだ冬が残っとる空気。
小さい影の前に——立った。
「…………」
フードの奥に——目がある。
何色かは見えへん。でも——揺れとる。不安で。怯えて。
——ほらな。やっぱり同じ顔や。
40年で何百回も見てきた顔。
保育園の門の前で、動けへんくなる子の顔。
答えは——いつも同じ。
「おはよう」
小さい影が——びくっとした。
「——顔洗った? 歯磨きは?(^^)」
「…………」
「入り。ごはんあるで(^^)」
手を差し出した。
煙突から——煙が出とる。ガルくんのパンの匂い。温かい匂い。
門は開いとる。ティアちゃんが開けた門。
小さい手が——伸びてきた。
冷たい手。ちっちゃい手。
握った。
いつもと同じように。40年間、何百回もそうしてきたように。
「ほら、行こ(^^)」
門をくぐった。二人で。
---
食堂から声が聞こえる。
「よしこー! おやつー!」
「朝やろ!(^^)」
「よしこさん、新作のパンができました!」
「ええやん(^^)」
「……おはようございます、よしこ様。お茶を淹れました」
「ありがとう、ティアちゃん(^^)」
「魔王様。本日の予定ですが」
「ヴェルちゃん、まず花壇の水やりしてからにしよ(^^)」
「……かしこまりました」
温かい匂いがする。
パンの匂い。お茶の匂い。煙突の煙。
小さい手を引いて——食堂に入った。
何を出すかは——もう決まっとる。
いつもの。特別やない。温かいだけの、いつものやつ。
でも——この子にとっては、特別になる。
レオンくんの時もそうやった。リーゼちゃんの時もそうやった。ガルくんの時もそうやった。
全部——同じ。
魔王でも保育士でも——やることは同じ。
ごはんを出す。「食べ」って言う。「えらいな」って言う。
それだけ。
それだけで——十分なんよ。
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魔王よしこ、62歳。——いや、もう何歳かわからんけど。
今日も元気です(^^)
---
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第84話「魔王よしこ、今日も元気です」。最終話です。
84話、お付き合いいただきました。本当にありがとうございます。
この物語は「終わり」ではありません。「今日も元気です」は、明日も続きます。新しい園児が来て、よしこが「おはよう」と言って、ごはんを出して、「えらいな」と言う。それが——ずっと続く。
書きたかったのは、「特別なことは何もない日常」が、誰かにとっては「特別」になるということでした。シチューもパンも、おやつも「えらいな」も、何一つ特別なものはありません。でも——レオンにとっては特別でした。リーゼにとっては特別でした。ガルドにとっては特別でした。グレイヴスにとっては——50年分の特別でした。
84話分の積み重ねを、最後まで読んでくださったあなたへ。
よしこから一言預かっています。
「あんたらもな、わての自慢の読者やで。——えらいな。最後まで読んでくれたな。しんどい日もあったやろ。忙しい日もあったやろ。それでも読みに来てくれた。ありがとうな。——いつでも帰っておいで。ごはんあるから(^^)」
いってらっしゃい。
歩人
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