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これは、ある一人のクリエイターの話だ。
仮に藤村と呼ぶ。
あなたが今、自分の名刺を作り直しても作り直しても、同じ沈黙を毎週受け取っているなら、たぶん藤村の話は他人事じゃない。
藤村は今年で37歳になる。1人で、複数の形式の創作を続けている。記事は note に書いている。漫画は pixiv で連載している。音楽は SoundCloud に月に1曲ずつ上げている。イベントは年に数回、Peatix で告知している。少人数のサロンも別のツールで運営している。
藤村はそれで生活している。会社員ではない。10年近く、自分の名前で仕事を取ってきた。
藤村は自分の作品を、1つの形式に絞れなかった。書きたいものと、描きたいものと、音にしたいものが、いつも同時にあった。だから全部やってきた。
その代わり、藤村は自分を一言で説明できる手段を、まだ持っていない。10年やってきて、いまだに「で、結局あなたは何の人なんですか」と聞かれる。藤村は毎回、答え方を変えてみる。今日は文章を中心に、今日は漫画を中心に、今日はサロンを中心に。
どれも嘘ではないが、どれも自分の全部ではない。
2026年の2月、藤村はある打ち合わせの場にいた。
藤村は今日、新しい名刺を持って臨んでいた。3度目の作り直しだった。1ヶ月前、印刷会社に発注したばかりだった。
藤村は今度こそ、と思っていた。
相手は出版関係の編集者で、初対面だった。藤村は名刺を差し出した。
編集者は名刺を受け取って、裏面に視線を落とした。
しばらく無言だった。やがて編集者は名刺をテーブルに置いた。
「で、結局どこを見ればあなたの作品が分かりますか」
藤村は答えられなかった。3度目も、同じ沈黙を受け取った。
編集者は頷いた。
「全部見るのは、しんどいですね」
その一言は、悪意でも嫌味でもなく、ただの事実として藤村の前に置かれた。
打ち合わせは続いた。
編集者は仕事の話を進めた。新しい連載企画の話だった。藤村は提案資料を出し、編集者は数字を確認した。話は前向きに進んだ。打ち合わせの最後に、編集者は「では、URLを後で送ってください。あとで時間があるときに、ゆっくり見ます」と言った。
藤村は「はい」と返した。
その「ゆっくり見る時間」を編集者が取らないことを、藤村はもう知っていた。過去にも何度も同じやり取りがあった。送ったURLが開かれた形跡は、ほとんどなかった。
藤村は家に帰って、机に向かった。
藤村は新しいノートを開いた。

これまで自分が名刺をどう作り直してきたかを、時系列で書き出した。
2023年。1回目。藤村は7つのURLをそのまま名刺の裏に並べた。文字の大きさを工夫すれば伝わると思っていた。打ち合わせ相手は、ほぼ全員が「全部見るのは、しんどいですね」と言った。半年で、その名刺は使えなくなった。
2024年。2回目。藤村は QRコードを1つに減らした。自前サイトに統一する作戦だった。3週間かけてサイトを作り直した。だが自前サイトでは、漫画は読めなかった。音楽は聴けなかった。サロンには入れなかった。自前サイトは、結局7つのリンクを並べただけのページになった。誰のサイトでもよかった。
2025年。3回目。藤村はリンク集のサービスを使った。デザインの綺麗なものを選んだ。アイコン付きで7つを並べた。名刺にはリンク集のQRを貼った。リンク集を開いた相手も、上から下まで見て、同じように黙った。リンク集はリンク集のままで、藤村の人格は伝わらなかった。
2026年。4回目。今日。藤村は紙の名刺を全面リデザインした。配色を変え、肩書きをシンプルにし、QRコードを大きくした。中身の7つのURLは変えなかった。変えようがなかった。
藤村はノートの最後に「3年」と書いた。
3年間、同じ問題を解いていない。1年に1回のペースで、藤村は「次こそは」と思って動いてきた。毎回、新しい仮説があった。毎回、試して失敗した。3回全部、結果は同じだった。
藤村は1人で動いていた。1人で考えて、1人で試して、1人で失敗してきた。誰かに「もう試したよ、それ」と笑ってもらう機会も、なかった。
藤村は新しい名刺の下書きを開いた。
何も入力できなかった。
これまで藤村が試してきた選択肢は、四つしかなかった。
note を切るか。pixiv を切るか。SoundCloud を切るか。Peatix を切るか。サロンを切るか。減らす。あるいは、自前サイトに統一する。あるいは、リンク集にまとめる。あるいは、また増やす。
どれも、もう試した。
note を切れば、文章で藤村を知っているファンが来なくなる。pixiv を切れば、漫画で藤村を知っている読者が来なくなる。SoundCloud を切れば、音楽で藤村を知っているリスナーが来なくなる。Peatix を切れば、リアルで会いに来てくれる人が消える。サロンを切れば、月額を払って藤村を支えているメンバーを裏切る。
どれを切っても、藤村の一部が消える。
どれも切らなければ、また「全部見るのは、しんどい」と言われる。
藤村は1時間、画面の前に座った。
何度も試したことを、また試しても、結果は変わらない。減らす。増やす。自前サイトに統一する。リンク集にまとめる。四択のどれも、藤村はもう試した。
藤村に五つ目の選択肢はなかった。
藤村は下書きを閉じた。
明日にも、次の打ち合わせがある。来週も、再来週も。打ち合わせのたびに、藤村はまた7つのURLを並べた名刺を差し出す。そして相手は、また三秒黙る。
藤村がもう一枚のカードを手にするのは、ひと月後だ。

シリアル番号が刻まれた、世界に100枚しかないカード。
藤村はそのカードを差し出されるまで、五つ目の選択肢を知らなかった。藤村は3年間、自分で動いて自分で詰まってきた。次に動くのも、藤村自身だ。動かす相手も、藤村自身だ。