剣のかたち
2026年2月22日
2026年2月22日
◆シオン視点
剣を振れと言われた。
ヴェルザに弟子入りして五日目。教会でも毎日振った。朝五時。素振り百本。型の反復。呼吸を整え、足を踏み、腰を回し、刃を走らせる。正確に。完璧に。教官の指示通りに。
ここでも同じことをしている。——ただし、教官はいない。
「もう一本」
ヴェルザが言った。中庭の隅。朝の光が石畳を白く染めている。
ヴェルザの手には何もない。腕を組み、壁に背を預け、金色の目でこちらを見ている。
——自分を見ている。
木剣を振った。上段から。型通り。
「……止めろ」
止まった。
「今の一振りは正確だ。教会仕込みか」
「はい。聖教会の正規課程です」
「技術は悪くない。——だが、中身がない」
中身。
「正確すぎる。一振りに迷いがない。——それは褒めているのではない。迷いがないということは、考えていないということだ」
考えていない。
——その通りだ。何も考えていない。教わった型を、教わった順に、教わった速度で再生しているだけだ。
「問う」
ヴェルザの金色の目が細くなった。
「お前は何のために剣を振る」
——。
口が動かない。
教会なら答えがある。「魔王討伐のためであります」。言い慣れた言葉。呼吸と同じように自然に出る、模範回答。
でも——今、その答えは出なかった。
魔王を討伐する。その魔王は昨日、自分にスープの三杯目を勧めてくれた。
「……わかりません」
声が小さかった。自分の声がこんなに小さいことを、初めて知った。
「わかりません。自分は……何のために剣を振っているのか」
ヴェルザが——動かなかった。怒らなかった。失望もしなかった。
ただ、腕を組んだまま。
「そうか」
一言だけ。
教会の教官なら「やり直し」と言う。ヴェルザは——「そうか」と言った。
「答えが出るまで振れ。型はいらん。自分の剣を振れ」
「……自分の剣」
「お前が『これだ』と思える一振りだ。——見つかるまで、何百本でも振っていろ」
背を向けた。銀白の髪が朝日を受けて光った。185cmの背中が遠ざかっていく。
自分の剣。
教わったことのない言葉だった。
---
◆レオン視点
朝飯の前。まだ眠い。目が開かない。でも——音が気になった。
壁の陰から覗いた。
シオンが木剣を振っている。
型。教会の型。俺は教わったことがないから知らないけど——綺麗だ。足の置き方、腕の角度、刃の軌道。全部が整っている。まっすぐで、無駄がない。
教会が作った「完璧な勇者」の動き。
俺の剣とは——全然違う。
でも。
何本か振ったあと、シオンが——止まった。
木剣を下ろした。石畳を見つめている。朝の白い光の中で、15歳の背中が——小さく見えた。
「…………」
見覚えがある。
——俺だ。あの頃の。
聖剣を手に取って、「勇者」と呼ばれて。でも何のために戦うのかわからなくて、一人で素振りしていた頃。答えなんか持ってなかった。
壁の陰から出た。
「よう」
シオンが振り向いた。灰色の目。——少しだけ、濡れている気がした。気のせいかもしれない。
「れ、レオン殿」
「……覗いてたわけじゃねぇよ。音がしたから見ただけだ」
「いえ……お恥ずかしいところを」
「恥ずかしいとこなんかねぇだろ」
落ちている木剣を拾った。もう一本ある。訓練用に置いてあるやつだ。
「ヴェルザに何か言われたか」
「……何のために剣を振るのか、と。——答えられませんでした」
だろうな。
俺もあれ聞かれたら答えられねぇ。
「俺もわかんなかった」
シオンが顔を上げた。
「今もわかんねぇ。何のために振ってるのか。正直言って——全然わかんねぇ」
「レオン殿も……わからないのですか」
「ああ。魔王を倒すため——って言ってたけどよ。その魔王がおにぎり握ってくれるんだぜ。意味わかんねぇだろ」
シオンが——一瞬、目を丸くした。
そして、微かに——唇の端が動いた。笑いではない。でも、教会仕込みの無表情とも違う。何かが緩んだ。
「……確かに、意味がわかりません」
木剣を構えた。
「一本やるか」
「……自分と、ですか」
「素振りだけじゃつまんねぇだろ」
---
打ち合った。
シオンの剣が来る。上段——綺麗だ。型通り。教科書みたいだ。教科書があったら、こう描いてある。
受けた。腕が痺れる。——こいつ、力もある。技術も、力も、何もかもが「正しい」。
俺の返しは——めちゃくちゃだ。
型なんか知らない。孤児院を飛び出して、路地裏で棒きれ振ってた。喧嘩で覚えた。殴られて覚えた。体で覚えた。
シオンの目が動いた。
「——その動き。教会の型にありません」
「ねぇよ。俺のだもん」
「どこで……」
「路地裏」
もう一本。横から。シオンが受けた。——でも一瞬遅れた。型にない角度だったから。
「……レオン殿の剣は」
「ん」
「めちゃくちゃです」
——知ってる。
「でも」
シオンが息を整えた。灰色の目が——何かを探している。
「……読めません。どこから来るかわからない」
「だろ。——俺も自分でわかんねぇもん」
「自分でわからないのに、振れるのですか」
「振れるっつーか……体が勝手に動くっていうか。考えてねぇんだよ。考えたら止まる」
シオンが——木剣を下ろした。
じっと、自分の手を見ている。
「自分は……考えすぎなのでしょうか」
「知らね。でもお前の剣、綺麗だよ」
言ってから——ちょっと恥ずかしくなった。何言ってんだ俺。
「教会の剣は綺麗だな。まっすぐで。——俺のはめちゃくちゃだけど」
木剣を持ち上げた。ボロい。節があって、少し曲がっている。俺の聖剣みたいだ。刃こぼれだらけの古い剣。
「——俺の剣だ」
シオンが俺を見ている。灰色の目が——揺れている。
「レオン殿は……自分の剣だと、言えるのですね」
「言えるっつーか……他に持ってねぇからな。これしかねぇし。これで戦ってきたし」
教わってない。綺麗じゃない。正しくない。
でも——俺の。
シオンが木剣を握り直した。
「もう一本——お願いします」
打ち合った。
シオンの剣が——少しだけ、変わった気がした。型は同じ。でも——力の入り方が違う。硬い力じゃない。自分で握っている力。
——まだ「教会の剣」だ。でも。
ほんの少しだけ、型からはみ出した一振りがあった。
不格好な、余分な一振り。
シオン自身が気づいていない。でも——俺には見えた。
「……いい一本だった」
「え……今のは、型を崩して——」
「だからいい」
シオンが——黙った。
木剣を握ったまま。自分の手を見て。
「…………俺の、剣」
声が小さかった。「自分の」じゃなかった。——「俺の」。
本人は気づいていないと思う。
でも——聞こえた。
---
◆シオン視点
石畳に座った。二人で。背中を壁につけて。
汗が冷えていく。木剣を膝の上に置いた。
「おつかれさん!(^^)」
声が降ってきた。
よしこ様が——盆を持って立っていた。深紅の目が笑っている。小さな黒角の向こうに朝の空が見える。
「朝から頑張っとるなぁ。はい、これ食べ(^^)」
盆の上に——白い三角が並んでいた。
「……これは」
「おにぎりやで(^^) ——あ。えー、わが城の携帯糧食である」
「おにぎり……」
レオン殿が一つ取った。黙って口に入れた。
「…………うめぇ」
自分も一つ取った。両手で持った。温かい。海苔が巻いてある——この世界にも海苔があるのだろうか。いや、これは——「魔族の森で採れる苔を干したもの」だとガルド殿が言っていた。
口に入れた。
——塩と、米と、中に何か——梅のような、酸っぱくて甘い何か。
「……おいしい、です」
「せやろ(^^)」
よしこ様が笑った。魔王の威厳が三秒で消えた。
「ヴェルちゃんにも持ってったるわ(^^) ……あ。ヴェルザにも、届けるとしよう」
盆を持って歩いていった。
---
廊下の角で——ヴェルザが盆を受け取っている声が聞こえた。
「魔王様。これは……」
「おにぎりやで(^^)」
「おにぎり……とは……」
「三角に握ったごはん! 中に具が入っとるねん!(^^)」
「……三角に握る意味は何でしょうか」
「持ちやすいからやで(^^)」
「……かしこまりました」
沈黙。
——そして、微かに。
「…………悪くない」
ヴェルザの声だった。「悪くない」。ドルガ殿と同じ言い方だ。魔王軍の幹部は全員そう言うのだろうか。
---
隣でレオン殿が三つ目のおにぎりを食べている。
「……レオン殿」
「ん」
「自分は……自分の剣を、まだ持っていません」
「うん」
「でも……探してみたいと、思いました」
レオン殿が——おにぎりを頬張ったまま、こちらを見た。
「見つかるかはわかりません。教会の型しか知らない自分に、自分だけの剣が——」
「見つかるよ」
あっさり言った。口にごはん粒をつけたまま。
「なんでわかるんですか」
「わかんねぇよ。でも——お前さっき、型から外れた一本振っただろ」
「……あの不格好な」
「あれだよ。——あれが、お前の剣だ」
不格好な一振りが——自分の剣。
「……そうでしょうか」
「知らね。でも、俺の剣だって最初はめちゃくちゃだった。——今もめちゃくちゃだけど」
レオン殿が笑った。口元のごはん粒が落ちた。
「綺麗じゃなくていいんだよ。——自分のなら」
自分の。
おにぎりを噛んだ。塩味が舌に広がった。
教会では、食事中に話すことを禁じられていた。食事は栄養摂取。効率よく、静かに、速やかに。
今——隣に人がいて、喋りながら食べている。おにぎりの具の話をしている。非効率で、うるさくて、温かい。
「……レオン殿」
「ん」
「……明日も、稽古していただけますか」
「おう。——ただし、ヴェルザの稽古のあとな。あいつの目が怖ぇから」
「……はい」
おにぎりをもう一つ取った。自発的に。
四つ目。
教会の配給は一食につきパン二つだった。ここでは——好きなだけ食べていい。
好きなだけ。
自分が「好き」かどうかすら、よくわからないけれど。
——でも、おにぎりは美味しい。
それだけは——自分の感覚だと、思う。
---
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第49話「剣のかたち」。シオンとレオン、二人の「勇者」の稽古回です。
教会の剣と路地裏の剣。正しい剣と正しくない剣。シオンは完璧に教わった型を持っている。レオンは何も教わっていない我流しかない。でもレオンは「俺の剣だ」と言える。シオンはまだ言えない。
シオンにとって、剣は「与えられたもの」でした。教会が与えた使命、教会が教えた技術、教会が決めた目的。全部が外側から来たもの。だから「何のために剣を振る」と聞かれても答えられない。自分で選んだことが一つもないから。
レオンの「めちゃくちゃだけど俺の剣」は、この物語の裏テーマです。完璧じゃなくていい。正しくなくていい。自分で掴んだものなら、それが「自分の剣」になる。シオンが型から外れた不格好な一振りを打った瞬間——それがシオンの剣の、最初の一歩です。
シオンの一人称が一瞬だけ「自分」から「俺」に変わったこと、気づいていただけたら嬉しいです。レオンの影響です。本人はまだ気づいていません。
ブックマーク・評価をいただけると、おにぎりがもう一個増えます。感想もお待ちしています。
☆評価・ブクマ・感想をいただけると次話の励みになります!