第44話 育てていたのです
2時間前
2時間前
夜半。
獣脂灯の黄金色の光は、いちばん外側の縁が半寸ほど傾いたまま保たれていた。芯のいちばん奥の一筋には、レオンが昨夕整えておかれた半寸分の余白が、静かに残されていた。
学び舎の板の卓の、いちばん手前の縁のところ。紺の表紙の二冊目は、半ばのページの右の縁がひらかれたままだった。公爵様の指の第三関節の内側の腹が、その鉛筆の薄い凹凸のいちばん外側の一筋に、半寸深く預けられていた。指の腹の薄い汗の層が、紺の表紙のいちばん手前の縁へと、ひと呼吸ずつ静かに運ばれていた。
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「——着任二年目の冬の終わり。母のアンネ様の命日。ルーカス様(八歳半)」
「——『せんせいね ぼく きょう おかあさまの おかお わすれました』」
「——『せんせいの おかおが ぼくの おかあさまの おかおの ように なってきました』」
点は打たれていなかった。
鋭い灰色の瞳のいちばん深い底の層が、夜半、半寸深く沈んだ。沈んだ先で、四年前のアンネ様の肖像画の半歩前で「母の命日に、花の一輪を添えよ」と使用人を半歩下がらせて渡した、あの同じ朝の鋭い灰色の瞳の遠い一筋の温度が、今夜初めて「おかお わすれました」の九文字のいちばん奥の一粒に届こうとした。届ききらなかった。半寸手前のところで、紺の表紙がゆっくりと静かに閉じられた。
表紙のいちばん上の縁には、柘植の小刀の薄い凹凸で彫り添えられた《ルーカス》の四音節があった。退場前夜の深夜の子供部屋、油灯の橙の層のいちばん手前で、私が掌の第一関節の内側の腹に力を半寸深く預けて彫った、四音節だった。
公爵様の指が、その薄い凹凸のいちばん外側の縁に半寸深く預けられた。預けられた半寸のところで、鋭い灰色の瞳のいちばん深い底の層が、ひと呼吸、半寸止まった。
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深緑の表紙の三冊目。棚の一段目、色の順の三つ目。いちばん上の縁に《エミリア》の四音節の薄い凹凸があった。表紙がひらかれた。
一ページ目。
「——着任初日の夜。エミリア様(三歳)。夜泣き一夜目」
「——右上の灯の位置を左下へ下げた。『ここ』という二音節」
「——『ここにいて』ではない。『ここに来て』でもない。まだ名前をつけられていない三歳の、一粒の温度の方角」
点は打たれていなかった。
鋭い灰色の瞳のいちばん深い底の層が、ひと呼吸止まった。止まった先で、着任初日に「子供の世話をしろ。それだけだ」の十四文字を置いた、あの同じ朝の鋭い灰色の瞳が、三歳の「ここ」の二音節の、名前のつけられていない一粒の温度のいちばん手前に届こうとした。届ききらなかった。半寸手前のところで、ページがめくられた。
二ページ目。三ページ目。五ページ目。
「——夜泣き七夜目」「——二十三夜目」「——六十一夜目」
ページの右の縁には、灯の位置の矢印の略図が、半寸ずつ違う角度で残されていた。右上。右の真ん中。真ん中。真ん中のやや左。左の真ん中。左の下。六つの、半寸ずつ違う角度の矢印の薄い一筋。
「——百八十夜。夜泣きの回路が閉じた」
公爵様の左の手の指が、外套の左の胸の内側から半寸ほどけて、指の腹が、六つの矢印の薄い凹凸のいちばん外側の一筋に半寸深く預けられた。
預けられた半寸のところで、五年分、邸の最上階の廊下の半歩外で夜半に振り返らないままだった乾いた足音の、いちばん遠い一筋の温度が、今夜初めて百八十夜の灯の位置のいちばん最後の一筋に届いた。届いた先で、公爵様の喉のいちばん深い底の層から、ひとつ、乾いた短い飲み込みの拍が落ちた。
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夜半が、もう半寸深まった。戸口の板の縁の外で、見張り六人分の足並みは半寸の揺れもなく保たれていた。坂の下の、カタリナ様とヤン君とリーゼルさんとフリーダさんの家の、四つ五つの灯の一筋が、板の敷石の半歩外まで届き続けていた。レオンは戸口の半歩外に下がられたまま。マルタはその半歩外に、奥様の八ヶ月前の枕の下のいちばん最後の一筋の温度を左の掌の腹に預けたまま、立たれていた。
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深緑の表紙の三冊目。半ばのページ。
「——四年目の冬の終わり。エミリア様(六歳)。書斎の重い扉の内側の閂の層の、いちばん外側の一筋に、八度のノック」
「——誕生日の前夜。母上の命日の同じ月の八日後。返事は——なかった」
点は打たれていなかった。代わりに、「ノック」の三文字の下の層に、もう一本の鉛筆の半寸深い線が一度引かれかけて、半寸手前で止められた形のまま残されていた。
鋭い灰色の瞳のいちばん深い底の層が、もう半寸深く沈んだ。沈んだ先で、四年前、書斎の閂の層のいちばん外側の一筋に八度、薄く細い子供の掌の指の腹の半寸の打撃の音が届いた、あの同じ夜が、今夜初めて「返事は——なかった」の九文字に届いた。
届いた先で、公爵様の指の第三関節が半寸震えた。震えは表には出されなかった。出されない代わりに、ページの右の縁に、指の腹の薄い皮膚の下の層の温度が半寸深く預けられた。
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五年目の春。ページは止まることなくめくられ続けた。
「——エミリア様(七歳半)。ハウザー伯爵令嬢が広間にお見えになった。マティアス様の名前を『マルティン』とお呼びになった。父上、訂正なし」
「——『わたしたちと、おなじ目をしている』。扇の内側の冷たい光に、『こわい』の三文字の名前を自分でつけられた」
点は打たれていなかった。
公爵様の左の手の指の、いちばん外側の一段の関節が、外套の左の胸の内側からもう半寸深くほどけた。指の半寸外の層に、半寸細く薄い一筋の水分の層が、静かに留まった。
冬の終わりの風のいちばん低い一筋の方角から、夜明けの灰色の光のいちばん手前の一粒の遠い気配が、半寸、混じりはじめていた。
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深緑の表紙の三冊目。最後のページのひとつ手前。
「——マティアス様五歳の冬の終わり。星型の人参の薄い輪切りの『おいしい』、四文字」
「——着任初日の山羊の乳の布端授乳の『一滴』の、遠い延長線の上」
「——一滴が、五年目の冬の終わりの夜に、四文字の形で届いた」
点は打たれていなかった。
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鋭い灰色の瞳のいちばん深い底の層が、ひと呼吸、半寸深く沈んだ。沈んだ先で、着任初日に「子供の世話をしろ。それだけだ」の十四文字を置いた、あの同じ朝の鋭い灰色の瞳の遠い一筋の温度が、今夜、「一滴」の二文字と「おいしい」の四文字の遠い延長線の上にひとつの形のまま重ねられた。
重ねられたその半寸のところで、ページがめくられた。
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深緑の表紙の三冊目。最後のページ。
いちばん上の行のいちばん手前の一筋に、鉛筆の削りたての、薄い薄い黒い粉が——退場前夜の深夜の子供部屋、油灯の橙の層のいちばん手前の温度の一粒が、静かに残されていた。
二十九文字。
「——この子たちは、もう大丈夫」
「——どこに行っても、自分の力で歩いていける」
点は打たれていなかった。
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鋭い灰色の瞳のいちばん深い底の層が、ひと呼吸、半寸深く止まった。
止まった先で、「自分の力で歩いていける」の十一文字のいちばん深い底の層が、四日前の冬の終わりの明け方、辺境の集落のいちばん手前の橋の板の上に届いた、十二歳と八歳と五歳の三人分の布沓の底の、薄く細い一筋の音の遠い延長線の上に、ひと呼吸重ねられた。
重ねられたその半寸のところで、公爵様の喉のいちばん深い底の層から、ひとつ、短い、けれども夜半のいちばん深い底の層よりも半寸深く水分を含んだ、飲み込みの拍が落ちた。
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静けさが半寸深まった。
公爵様は、三冊目の最後のページの右の縁から、半寸も顔を上げられなかった。上げられない代わりに、右の手の指が、二十九文字の鉛筆の薄い凹凸のいちばん外側の一筋に半寸深く預けられた。
預けられた半寸のところで、左の手の指の半寸外の層に残されていた細い薄い一筋の水分の層が、半寸深く頬の外側の方角へ下りかけて、頬の外側の皮膚のいちばん薄い層の、いちばん外の一粒にゆっくり下りた。
ひと粒。頬の外側までは下りきらない半寸の、いちばん深い底の層で、半寸深く保たれた。
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三冊目の深緑の表紙が、静かに閉じられた。三冊——茶色、紺、深緑——が、板の卓のいちばん手前の縁に静かに並べ直された。
私は、竃の端の椅子の半歩後ろから、半歩前に進んだ。膝を折らなかった。折らない代わりに、翡翠色の瞳のいちばん深い層を、公爵様の指の第三関節の内側の腹に、静かに置いた。
竃の赤い残り火の一粒のところで、薄い橙の層が夜明けの方角へ半寸傾きかけていた。板張りの小部屋のいちばん低い層で、三人の寝息がひとつに均されたまま。ルーカス様の右手の指の第三関節は、外套の左の胸のポケットの薄い布の縁に、昨夜よりももう半寸深く添えられたままだった。
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三冊のいちばん手前の縁から、公爵様の指の第三関節が半寸離された、その半寸の静けさのところで。
鋭い灰色の瞳のいちばん外側の縁が、夜半のいちばん深い層から半寸深く、私の翡翠色の瞳のいちばん深い層に、ひと呼吸、置かれた。
五年分、朝の廊下の、頭下げの半歩上の漆喰を通り過ぎていた同じ遠い一筋の温度が、今夜、初めて、大人の目のちょうど合う位置で、半寸深く届いた。
五年と、ひと月半。
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半寸の静けさ。
公爵様の喉のいちばん深い底の層から、昨日の「騎士団」の四音節や「道理」の二文字や「——所詮、子守係にすぎない女だった」の十五文字の、いちばん外側の縁の乾いた温度のどれとも違う、半寸低く半寸深く半寸水分を含んだ、別の形の声の一筋の、いちばん手前の一粒が、静かに置かれた。
「——……子守では、なかったのか」
十一文字。
点は打たれなかった。
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着任初日に「子供の世話をしろ。それだけだ」の十四文字を置いた、あの同じ声のいちばん深い底の層から、今夜、初めて、半寸深く水分を含んだ別の形の一筋の問いが、静かに置かれた。
問いのいちばん深い底の層には、「——子守係にすぎない女だった」の十五文字に五年分置き続けていた乾いた温度の厚さが、今夜、もう半寸薄くなって残されていた。
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私は半寸浅く息を吸った。
吸った半寸のところで、五年分折り続けた膝のいちばん深い底の層の、名前のついていなかった私自身の一粒の温度が、もう半寸上の方へほどけた。ほどけた半寸のところで、翡翠色の瞳のいちばん深い層を、鋭い灰色の瞳のいちばん外側の縁に、まっすぐ置いた。
大人の目の、ちょうど合う位置で。
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「——子守では、ありません」
十文字。
声のいちばん細い縁の層に、半寸の震えは置かなかった。
五年間、書面の内側にも広間の空気の中にも、朝の廊下の頭下げの半歩上の漆喰の層にも一度も置かれなかった九文字。着任初日の「子供の世話をしろ。それだけだ」の十四文字の遠い一筋の温度に、五年分、一度も声の形で返すことのできなかった九文字。前世の保育士の記憶のいちばん深い底の層に「保育」という二文字の名前のついていた、同じ一筋の温度の遠い延長線の上のいちばん最後の一筋。
点は打たなかった。
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半寸の静けさ。
鋭い灰色の瞳のいちばん外側の縁が、ひと呼吸、半寸止まった。止まった先で、公爵様の左の手の指の半寸外の層に残されていた細い薄い一筋の水分の層が、もう半寸深く頬の外側の方角へ下りようとした。下りきらなかった。半寸手前のところで、瞼のいちばん内側の層の方角へ吸い込まれた。
吸い込まれた先で、別の一粒が、昨日までの乾いた温度の厚さの半寸下から静かに昇った。昇った先で、頬の外側の皮膚のいちばん薄い層の、いちばん外の一粒に半寸深く留まった。
ひと粒。
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留まった半寸のところで、公爵様の喉のいちばん深い底の層から、半寸深く半寸低く半寸水分を含んだ、別のもう一筋の、いちばん手前の一粒が、静かに置かれた。
「——育てて……いたのだな」
八文字。
点は打たれなかった。
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自分の言葉だった。
マルタの「——奥様の、お言葉でございます」の十四文字の形からでは、なかった。昨日のルーカス様の「父上は、僕たちを一度も見なかった」の形からでも、エミリア様の「名前すら、ご存じありませんでした」の形からでも、マティアス様の「フィオナせんせいの、ごはん、たべたい」の形からでもなかった。
公爵様ご自身のいちばん深い底の層から、夜半、五年分の鉛筆の薄い粉の温度がひと呼吸ずつ届き続けた、そのいちばん最後の一筋のところで、自分の声の自分の形のまま静かに置かれた、八文字。
三文字分の「育てて」。二文字分の「……」。五文字分の「いたのだな」。
「育てて」と「いたのだな」の半寸のあいだに、「……」の二文字分の、声にはならない鉛筆の削りたての薄い黒い粉の、一粒の温度の厚みが、静かに保たれた。
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私は半寸浅く頷いた。
頷いた先で、翡翠色の瞳のいちばん深い層から、ひとつ、小さな水分の光の粒が、頬の外側までは下ろさずに、栗色のまつげの薄い層の半寸下へ、ゆっくり吸い込まれた。
ひと粒。
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五年と、ひと月半。
届かなかった視線。届かなかった名前。届かなかった「一滴」。届かなかった百八十夜の六つの矢印。届かなかった書斎の閂の層の八度のノック。届かなかった「『マルティン』、父上、訂正なし」。
届かなかった全ての、五年分の鉛筆の薄い粉の温度が、今夜、ひと呼吸ずつ自分の指の腹のところで届き続けた、そのいちばん最後の一筋のところで、「育てて……いたのだな」の八文字が置かれた。自分の言葉で。
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公爵様の指が、もう一度、三冊のいちばん手前の縁へ半寸静かに戻された。戻された先で、茶色の表紙のいちばん上の縁の、柘植の小刀の薄い凹凸で彫り添えられた《ルーカス》の四音節に、指の腹が半寸深く預けられた。
「ル」「ー」「カ」「ス」。
「我が息子」の四音節の、広間の空気の中の朗々とした厚みの乾いた温度ではなく、「ルーカス」の四音節の、指の腹の薄い凹凸のいちばん深い底の層の温度。
初めて。
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戸口の板の縁の外で、マルタが半歩斜め前に進まれた。茶色の瞳のいちばん深い底の層から、五年分、乾いたまま耐えられていた一粒の温度が、半寸、頬の外側の方角へ下りかけて、半寸手前で上の方へ吸い込まれた。
マルタは何も言われなかった。言わない代わりに、半寸深く頷かれた。頷かれた半寸のところに、奥様の「——フィオナには、五年分ずっと、棚の一段目を毎朝拭いてくれて、ありがとう」の三十七文字のいちばん最後の一筋の温度が、半寸深く保たれていた。
夜明けの灰色の光のいちばん手前の一粒が、窓の板の半寸外に届きかけていた。まだ音にはならない。ならないまま、獣脂灯の黄金色の光のいちばん外側の縁がもう半寸細く傾いた。芯の、レオンが昨夕整えておかれた半寸分の余白が、ひと呼吸、半寸深く燃えた。竃の赤い残り火の一粒のところで、薄い橙の層がもう半寸、夜明けの方角へ傾いた。三人の寝息はひとつに均されたままだった。
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公爵様は、三冊のいちばん手前の縁から半寸、顔を上げられた。上げられた先で、学び舎の板の壁の半寸上の層へは視線は置かれなかった。置かれない代わりに、窓の板の半寸外の、夜明けの灰色の光のいちばん手前の一粒の遠い気配の方角へ、半寸静かに置かれた。
五年分、朝の廊下の頭下げの半歩上の漆喰を通り過ぎていた遠い一筋の温度から、ひと呼吸、半寸深く下ろされた視線。
右の手の指の第三関節の内側の腹が、ゆっくりと、外套の左の胸のいちばん内側の層へ運ばれた。五年分「子供の世話をしろ。それだけだ」の十四文字を置いた同じ外套の同じ内側の層に、昨夜初めて預けられた三つの四音節——「マティアス」「エミリア」「ルーカス」——の並びの半寸横に、今夜、もう半寸深く別の一筋の温度が預けられた。
「育てて」の、三音節。
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私は、竃の端の椅子の膝の上の、四冊目の観察記録ノートを静かにひらいた。鉛筆の削りたての薄い粉の層の、いちばん細い縁で、一文字ずつ置いた。
「公爵様。三冊目を読み終えられた。『——子守では、なかったのか』。『——育てて……いたのだな』。自分の言葉で」
点は打たなかった。
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公爵様は、獣脂灯の黄金色の光のいちばん外側の縁から、半寸静かに立ち上がられた。肩章の銀の縁の光が、夜明けの方角へ半寸ゆっくり傾いた。外套の左の胸のいちばん内側の層の、四音節と三音節の並びを半寸深く保たれたまま、窓の板の半寸外へ半歩静かに進まれた。止まった。
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獣脂灯の黄金色の光のいちばん外側の縁に、深緑の表紙の《エミリア》の四音節の薄い凹凸が、半寸残されていた。三冊目の最後のページの二十九文字の、鉛筆の薄い粉の遠い一筋が、獣脂灯の光のいちばん外側の縁で、静かに保たれていた。
点は打たれないまま。ひらかれたまま。閉じないまま。続くままで。
育てて、いたのです。
九文字。
声にはしなかった私自身のいちばん深い底の層の一粒の温度が、「——子守では、ありません」の十文字と「——育てて……いたのだな」の八文字、その二つの遠い延長線の上に、静かに並んで保たれた。
点は打たなかった。