第46話 笑顔を数えたことがなかった
2時間前
2時間前
夜明け。
竃の赤い残り火のいちばん奥の一粒のところで、薄い橙の層が昨夜より半寸だけ夜明けの方角へ傾いていた。板張りの小部屋のいちばん低い層では、三人の寝息がひとつに均されたまま。
戸口の外の板の敷石のいちばん手前の一粒のところに、布沓の底の細い一筋の音が届いた。四つの蹄のいちばん最後の一筋。昨夜、街道の遠い一粒の予感として預けられていた別の蹄の遠い一筋が、集落のいちばん手前の橋の板の上に届いていた。
戸口の板の縁の半寸外のところで、細い一筋が止まった。
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右の手のひらの第三関節の内側の腹のところ。五年分、一度も手放されなかった長く細い黒い教鞭の、その重みの遠い延長線の上のいちばん手前に、今朝は半寸ぶん深く空白の温度の厚さが保たれていた。
教鞭は持たれていなかった。
灰色の髪の厳しくまとめられた結い目のいちばん外側の縁に、五年分、公爵邸の朝の廊下の漆喰の層のいちばん外側に置かれ続けていた同じ遠い一筋の温度が、今朝は辺境の戸口の半寸外のところへ深く下ろされていた。
ヒルデ先生。
痩せぎすで背の高い灰色の上衣のいちばん外側の縁のところ。眉間のいちばん深い皺の層に、三十年分の教壇のいちばん手前の節の半歩上の乾いた温度の厚さの遠い延長線が半寸ぶん深く保たれていた。両の手のひらは外套の左の縁に預けられていた。いちばん内側の指の第一関節の外側の縁が、ひと呼吸ぶん半寸だけ震えた。震えは外側までは上がらなかった。
レオンが戸口の板の縁の半寸内側のところへ半歩立たれた。深い緑の瞳のいちばん手前の縁が、ヒルデ先生の教鞭のない両の手のひらの半寸の空白へ置かれた。言葉は発されなかった。竃の方へ半歩戻られ、粥の椀がもう一つ、板の卓のいちばん手前の縁に添えられた。
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私は翡翠色の瞳のいちばん深い層を、静かにヒルデ先生の眉間のいちばん深い皺の層のいちばん外側の縁へ置いた。膝は折らなかった。
「——ヒルデ先生。——お入りなさいませ。中は、暖かいですわ」
二十一文字。
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ヒルデ先生の灰色の瞳のいちばん外側の縁が、板の床のいちばん手前の節の半寸下のところへ深く下ろされた。
「——……私は、確かめに、まいりました」
十二文字。
点はひとつ、細く薄く打たれた。
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半寸の静けさのあとから、小さな足音がひと筋届いた。
ルーカス様。十二歳の口の内側の奥の層から、五年分の「ち、ち……」の三音節の遠い延長線の上を通り過ぎた別の一筋の温度が、戸口の板の縁の半寸内側へ下ろされた。
「——おはよう、ございます」
膝は折られなかった。顎は半寸上がったまま。エミリア様が半歩後ろに並ばれた。
「——おはよう、ございます、ヒルデ先生」
マティアス様の眠たげなまつげの半寸下から、「……おはよう」の四文字がひと呼吸ぶん落とされた。
ヒルデ先生は三人の並びをひと呼吸見渡された。五年分、公爵邸の廊下で「ヴェルナー家のご三方」と教鞭の重みから呼んでこられた同じ三人が、今朝は辺境の板の床のいちばん手前の節に三人並んでいた。三人とも逸らされてはいなかった。
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ヒルデ先生は戸口を半寸入られた。
「——……クラウス先生は、子供たちの去られたその日のうちに辞職なさいました。私が……推薦いたしました。——結果は、何一つ守れませんでした」
私は翡翠色の瞳のいちばん深い層を、ヒルデ先生の教鞭のない両の手のひらの半寸の空白のいちばん手前へ置いた。
「——ヒルデ先生。まず椀をお取りください。——お話は、粥の湯気のいちばん手前の縁のところで、ひと呼吸ずつひらきましょう」
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朝。——保育の時間。
板の卓の奥の縁に、ヒルデ先生の痩せぎすの背が半寸低く座っておられた。三十年分、教壇のいちばん高い段の半歩上の空気に置かれ続けていた灰色の瞳のいちばん外側の縁が、今朝は初めて子供の目のちょうど合う位置へ半寸下ろされた。
トビアスが椀のいちばん手前の縁から半寸、顔を上げた。
「——ヒルデってのか、あんた。あんたがクラウスをこいつらのとこへよこした、ってんなら、粥のお代わり三杯出しとけ。おれのきょうだいが泣かされた分だ」
ヒルデ先生の灰色の瞳のいちばん深い底の層が、ひと呼吸ぶん半寸沈んだ。
「——……承知しました」
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午前。——手遊びの時間。
ドロテアの灰緑の瞳のいちばん深い層が、ルーカス様の三拍子の手拍子のいちばん手前の一筋に半寸留まった。昨日、ブラント様の灰色の鉛筆の二筋目に置かれた、唇の「せ」の一音節の気配。その半寸のいちばん奥からもう半寸、外側の縁の方角へ押し出されかけた。押し出されきらなかった。半寸手前のところで、もう一度吸い込まれた。
唇のいちばん外側の縁の薄い産毛の層が半寸震えた。四度目。
ヒルデ先生の灰色の瞳のいちばん外側の縁が、ドロテアの半寸の震えへ深く届いた。届いた先で、三十年分の乾いた温度の厚さが半寸薄くなった。
トビアスが藁の指人形の三拍子の拍のひとつ目で半寸笑った。
「——ドロテ、あとでウサギの指人形、もう一つ作ってやるな」
妹への低く柔らかい声。粗暴な兄の喉の奥からしか出てこない一筋の音の温度。ドロテアの灰緑のいちばん内側の一粒の明るい色が、半寸深く昇った。
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昼近く。
庇の下の板の敷石の半歩外のところに、鋭い灰色の瞳のいちばん外側の縁が置かれていた。公爵様。昨夜は街道のいちばん奥の宿屋の戸口の半寸外でひと夜保たれていた。
ヒルデ先生の灰色の瞳のいちばん外側の縁が半寸、公爵様の方角へ置かれた。
「——エドワード様」
公爵様の顎のいちばん手前の縁が半寸下ろされた。頭下げではなかった。目のちょうど合う位置で半寸認められた、三十年分の温度の遠い延長線の上のいちばん最後の一筋。
昼。——十六の椀の蜂蜜色の湯気のいちばん手前の縁のところで。カタリナ様の褐色の瞳のいちばん深い底の層が、ヒルデ先生の痩せぎすの背のいちばん外側の縁へ半寸置かれた。
「——あんたが王都の三十年の教育係ってのか。あたしはカタリナ。坂の下で鍬握って三十年だ。あんたと同じ三十年だな」
「——粥は同じ湯気だ。湯気の縁のところで、あたしらの三十年分を話してみねえか」
ヒルデ先生の眉間のいちばん深い皺の層のいちばん内側が、ひと呼吸ぶん半寸深く揺らいだ。
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昼すぎ。
ブラント様が厚い書類鋏のいちばん外側の縁から半歩、板の卓の方角へ進まれた。胸章の銀の縁の光が、冬の終わりの昼のいちばん低い一筋の方角で半寸保たれていた。
「——昨夜、坂の下の獣脂灯のひと筋の光のいちばん外側の縁で、報告書の一ページ目の最初の行を書きました。王都の書類鋏へ戻す前に、この子供たちの目のちょうど合う位置で、先に声にしておくと決めました」
書類鋏はひらかれなかった。
「——本日、ここにご立会の皆様の前で——」
ひと呼吸。
「——この学び舎を、王立認可教育機関として承認いたします」
「——ここで行われていることは——教育です」
四十文字。点はひとつずつ静かに打たれた。
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板の床のいちばん手前の節のところで、ひと呼吸ぶん半寸の静けさが深まった。
トビアスの三拍子が半寸止まった。ルーカス様の瞳のいちばん外側の縁が半寸柔らかく傾いた。エミリア様の栗色のリボンの結び目が半寸震えた。マティアス様の柘植の星型のスプーンの五つの角のいちばん外の一つが半寸昇った。カタリナ様の褐色の瞳のいちばん深い底の層から、昨日は頬の外側までは下ろされなかった半寸のいちばん手前の一粒が、今朝はもう半寸深く、頬の外側のいちばん薄い層へ保たれた。
公爵様の鋭い灰色の瞳のいちばん外側の縁が、四十文字の半寸外の層へ半寸深く止まった。止まった先で、外套の左の胸のいちばん内側の層の「証、人」の二音節の半寸横へ、今朝は別の一筋の温度が添えられた。
——「教、育」。
二音節。声にはしなかった。
ヒルデ先生の灰色の瞳のいちばん深い底の層では、三十年分、各家の広間で書面の規定の縁から口にしてこられた同じ二音節——成績の承認、作法の承認——の遠い延長線の上に、今朝は初めて他者の声から届いた同じ二音節が、半寸深く重ねられた。
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私は翡翠色の瞳のいちばん深い層を、ヒルデ先生の痩せぎすの背のいちばん外側の縁へ移した。膝は折らなかった。
「——ヒルデ先生」
ヒルデ先生の灰色の瞳のいちばん深い底の層が、半寸、私の翡翠色の瞳のいちばん深い層へ置かれた。初めて、子供の目のちょうど合う位置で、翡翠と灰色が半寸合わされた。
「——あなたの三十年間は、無駄ではありません」
十八文字。
「——ルーカス様の喉のいちばん奥の層に、三十年分の書面上の作法のひと粒の温度は置かれておりました。エミリア様の字のひと筆にも、マティアス様の朝の礼の頭下げの半寸内側にも、同じ温度が保たれておりました」
「——ただ、子供には遊びも必要だったのです」
十七文字。点は打たなかった。
「——歌の三拍子のひとつ目の拍の、湿った温かい半寸の空気。椀の蜂蜜色の湯気のいちばん手前の縁の、同じ空気。——子供のいちばん深い底の一粒の温度を半寸湿らせる、別の形のもう一筋の教育でした」
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ヒルデ先生の口はひらかれなかった。
ひらかれない代わりに、灰色の瞳のいちばん深い底の層から、三十年分、一度も下ろされたことのなかったひと粒の温度が半寸深く上がった。まぶたのいちばん内側の層に半寸深く留まった。頬の外側までは下りなかった。
喉のいちばん深い底の層から、半寸深く半寸低く半寸乾いた、声のいちばん手前の一粒がひと筋置かれた。
「——……私は」
ひと呼吸。
「——子供の、笑顔を」
「——数えたことが、なかった」
十八文字。
静けさ。
まだ笑顔ではない。和解でもない。頭を下げられたのでも、謝罪をされたのでもない。三十年分、ご自身の書面の規定のいちばん外側の縁で一度も置かれたことのなかった、一粒のご自身の認識の、半寸の下ろし方。
敵意が降りた。降りた半寸のところに、長く細い黒い教鞭の重みの遠い延長線の上のいちばん外の縁の温度が、半寸深く薄くなって残された。
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認可式。
ブラント様が書類鋏から一枚の羊皮紙の半寸のひとひらを取り出された。王家の紋章の薄い凹凸が、冬の終わりの昼のいちばん低い一筋の光で半寸保たれていた。
「——レオン・グリューネ先生」
レオンは板の床のいちばん手前の節の半寸上へ進まれた。右手の迷いの出る癖のいちばん手前の縁が、ひと呼吸ぶん半寸止まった。止まった先で半寸深く受け取られた。
「——そして——フィオナ・メルツ様」
私は半寸、半歩進んだ。
翡翠色の瞳のいちばん深い層に、三十年分のヒルデ先生の灰色の瞳のいちばん奥の一粒と、五年分の公爵様の鋭い灰色の瞳のいちばん奥の一粒と、半月分のカタリナ様の褐色の瞳のいちばん奥の一粒と、マルタの茶色の瞳のいちばん深い底の一粒が、半寸重ねられた。
五年と、ひと月半。
羊皮紙のいちばん下の縁に、私の名前の五音節が薄い黒い粒の層の形で運ばれていた。
「フィオナ・メルツ」。
五年分、書面の名前の横に横線を引かれた同じ五音節。その同じ五音節が、今朝は別の形の羊皮紙のいちばん下の縁に、別の形の一筋で置かれていた。
点は打たれなかった。
受け取った。翡翠色の瞳からひと粒、小さな水分の光の粒が、栗色のまつげの薄い層の半寸下へ吸い込まれた。
「……ありがとう、ございます」
十文字。
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認可式の半寸の静けさのあとのところ。
ルーカス様が両の手のひらを合わされた。小さなふたつの拍の音。エミリア様、マティアス様のふたつずつの拍。トビアスの日焼けした指からふたつの拍が添えられた。ヤン君の、ヨハンのたくさんの拍。カタリナ様のゆっくりとしたひと拍ずつの深い半寸の拍。ブラント様の半寸深い拍がふたつ。
ヒルデ先生は手を合わせられなかった。合わせられない代わりに、眉間のいちばん深い皺の層のいちばん内側が、ひと呼吸ぶん半寸深く揺らいだ。
歌遊び。拍のいちばん最後の一筋のところから、私は歌の三拍子のひとつ目の拍のいちばん手前の縁へ半寸置いた。着任初日の子供部屋の油灯の橙の層のいちばん手前で、ルーカス様の「ち、ち……」の三音節の詰まりを半寸ほどくために最初に置いた、同じ三拍子。
一拍目。半寸低く。二拍目。半寸湿らせて。三拍目。半寸深くひらいた。
ルーカス様の小さな亜麻色の声。エミリア様の柔らかい女の子の声。マティアス様の丸いやわらかい声。トビアスの喉の奥からの半寸低く粗い、けれども温かい一筋。ヤン君の、ヨハンのたくさんの半寸の声が、半寸深く重ねられた。
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三拍子の三つ目のひとつ前のいちばん手前の縁のところで。
——半寸、動いた。
ドロテアの灰緑の瞳のいちばん深い層から、昨日、唇の内側の層の「せ」の一音節の気配の半寸のいちばん奥に留められたひと筋の温度が、今朝はもう半寸、外側の縁の方角へ押し出された。
唇のいちばん外側の縁が、ひと呼吸ぶん半寸ひらかれた。ひらかれた半寸のところから、小さな小さな四歳の口の内側の奥の層のいちばん手前の一粒で温められていたひと筋の細く薄い息が、半寸深く外側の方角へ運ばれた。
「——……せ」
「——……ん」
息が半寸止まった。ひと呼吸止まった先で、もう半寸深く外側の縁のほうへ押し出された。
「——……せい」
六文字。「せ、ん、……、せ、い」。半寸分の「……」のところに、四歳の口のいちばん深い底の一粒の半寸のためらいの温度が、静かに保たれていた。
歌遊びの三拍子のいちばん最後の一筋の音が、ひと呼吸ぶん半寸止まった。板の床のいちばん手前の節の半寸上で、十数の声のいちばん手前の縁が、ひと呼吸ぶん半寸止まった。
トビアスの赤毛のいちばん外の縁で、褐色の瞳が見開かれた。ルーカス様の灰色がかったやわらかい瞳のいちばん外側の縁が半寸深く湿った。エミリア様の栗色のリボンの結び目の半寸外側の層が半寸深く震えた。
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ヒルデ先生。
灰色の瞳のいちばん外側の縁が、見開かれた。
三十年分、教壇のいちばん高い段の半歩上の空気で成績の承認と作法の叩き込みの乾いた粒の温度を置き続けてこられた同じ灰色の瞳の、いちばん奥の一粒に、今朝は一度も聞かれたことのなかった、声になりかけのひと息の「せん……せい」の六文字。
三十年分、成績表の名前の欄へはたくさん運ばれてきた。けれども「声の出なかった子供の口から、灰色の瞳のいちばん奥の一粒へ」という直接の線は、一度も引かれたことがなかった。
ヒルデ先生の両の手のひらの第三関節の内側の腹が半寸震えた。震えは外套の左の胸のいちばん内側の層の方角へ吸い込まれた。灰色の瞳のいちばん奥の一粒から、ひと粒、小さな水分の光の粒が、今朝は初めて三十年分の乾いた粉の層の半寸外側の層へ半寸深く上がった。頬の外側までは下ろされなかった。まぶたのいちばん内側の層に留まった。
ひと粒。
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ドロテアは灰緑の瞳のいちばん深い層を、ヒルデ先生の方へは置かなかった。置かなかった代わりに、私の翡翠色の瞳のいちばん深い層へ半寸深く届けた。
「——せん、せい」
もう一度、四文字。はじめよりも半寸深く、半寸明るく、半寸まろやかに。
兄のトビアスのシャツの裾を握っていた指の二本が半寸ひらかれた。ひらかれた先で、自分の小さな掌のいちばん手前の縁の前掛けの縫い目へ半寸深く戻された。
私は膝を折った。翡翠色の瞳のいちばん深い層を、ドロテアの灰緑の瞳のいちばん深い層のいちばん手前の一粒へ静かに置いた。
「——ドロテアちゃん」
「——はい。——ここに、います」
点はひとつずつ静かに打った。
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夕刻。
ヒルデ先生が半歩、庇の下の板の敷石の半歩外へ進まれた。外套の左の胸のいちばん内側の層に、今朝のご自身の「……私は、子供の、笑顔を、数えたことが、なかった」と、ドロテアの「——せん……せい」の、二つの半寸の温度の厚みが預けられていた。
公爵様の外套の左の胸のいちばん内側の層には、昨夜の「証、人」と、今日の「教、育」の、二つの温度の厚みが預けられたまま。ヒルデ先生の灰色の瞳のいちばん外側の縁が、公爵様の鋭い灰色の瞳のいちばん外側の縁へ半寸置かれた。半寸止まった。頷きではなかった。三十年分の乾いた粉の層の半寸外側の層のいちばん外の縁で半寸認められた、同じ認識の半寸の下ろし方。公爵様の顎が半寸下ろされた。
マルタが斜め前へ並ばれた。茶色の瞳のいちばん深い底の層に、奥様のご生前の王立監査院の古い一筋の人脈の、いちばん細い糸のいちばん最後の一筋の温度が半寸深く昇った。言葉は置かれなかった。置かれない代わりに半寸深く頷かれた。
奥様の八ヶ月前の朝の鐘の一つ目の音の少し前の、銀色の睫毛のいちばん最後の一筋の温度が、今日は辺境の板の床の半寸上に半寸深く保たれていた。
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夜。
板張りの小部屋のいちばん低い層で、五人の寝息がひとつに均されたまま。坂の下の屋根が半分傾いたまま、明日も雨の気配のため、トビアスとドロテアがひと夜こちらで、というカタリナ様ご自身のお申し出。
私は竃の端の椅子の膝の上の四冊目の観察記録ノートに、今夜、三行を置いた。
「ヒルデ先生。——灰色の瞳の奥に『せん……せい』の六文字」。
「ブラント様。——子供の目の高さで『承認いたします』の七文字」。
「ドロテアちゃん。——唇の縁に『せん……せい』の六文字」。
点は打たなかった。
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戸口の板の縁の半寸外。
レオンが半歩立たれていた。冬の終わりの夜のいちばん低い一筋の月の光が、襟口の白墨の粉の薄い筋のいちばん外の縁に半寸預けられていた。深い緑の瞳のいちばん手前の縁が、私の翡翠色の瞳のいちばん深い層へ半寸深く置かれた。
右手が戸口の板の縁で半寸止まった。迷いの出る右手の癖のいちばん手前の縁で、ひと呼吸ぶん半寸ひらかれかけた。ひらかれなかった。喉のいちばん下の層から、「——フィオナさん」の六文字が半寸深く置かれた。
「——明日の夜。——学び舎の戸口を閉めたあとに、お話したいことがあります」
快活な一筋が、今夜は半寸詰まっていた。詰まりの縁に、四年前の冬の土間の隅の、届かなかった半束の薪の距離の乾いた温度の厚さが、別の形のひと粒の預かりの温度として保たれていた。
私は膝を折らなかった。
「——……ええ。——レオン先生。——お待ちしております」
点は打たなかった。
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——笑顔を、数えたことが、なかった。
十二文字。
声にはしなかった、私自身のいちばん深い底の層の一粒の温度が、ヒルデ先生の十八文字の半寸のいちばん奥と、ドロテアの六文字の半寸のいちばん奥に、静かに並んで保たれた。
三十年分、数えられてこなかった笑顔。今日、板の床の半寸上で、十数の子供たちの小さな半寸の笑顔が、ひと呼吸ずつ数えられた。
一つ。二つ。三つ。——四つ、五つ、六つ、七、八、九、十、十一、十二、十三、十四、十五、十六、十七。
十七。
五年と、ひと月半と、——一日。四冊目のノートの半寸下に、もう一行だけ置いた。
「十七の笑顔を、——今日数えました」。
点は打たなかった。