第47話 星空の下で
2時間前
2時間前
認可式の翌日の夜。
竃の赤い残り火のいちばん奥で、昨夜よりも深く薄い橙の層が傾いていた。板張りの小部屋の低いところで、五人の寝息がひとつに均されたまま保たれていた。
ルーカス様の右手の指が毛布の襟の内側に浅く預けられている。エミリア様の栗色のリボンの結び目が枕の布目の上で柔らかくほどけたまま。マティアス様の丸い小さな頬には、今日の認可式の拍手の最後の温度がまだ残っているようだった。トビアスとドロテアは昨夜からこちらで眠っている。坂の下の屋根の直しが済むまでもうひと晩、というカタリナ様ご自身のお申し出だった。
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戸口の板の縁の、半寸ほど外のところ。
深い緑の瞳が半歩、そこに立っていた。襟口の白墨の粉の薄い筋に、冬の終わりの雪解けの夜の乾いた空気が低く触れている。
レオン先生。
右手は戸口の板の縁に添えられていた。迷いの出る癖の手前のところでひと呼吸ひらかれかけて、ひらかれなかった。
私は竃の端の椅子で、膝の上の四冊目の観察記録ノートを静かに閉じた。肩掛けの薄い麻の織りの縁に両の手のひらの指の腹を深く預ける。昨夜の「——学び舎の戸口を閉めたあとに、お話したいことがあります」という言葉の遠い延長線の上が、今夜もう半寸、深く運ばれてきていた。
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戸口の板の縁を半寸、外に出た。
冬の終わりの夜の低い空気の方角から、冷たく、けれどもう半寸湿った雪解けの縁の温度が、頬の外側の薄い層に届いた。
レオン先生の深い緑の瞳が、私の翡翠色の瞳のいちばん深い層にまっすぐ置かれた。いつもの昼間、板の床のところで子供たちの三拍子の手遊びの真ん中にあった、あの快活な温度。今夜はそれが半寸、詰まっていた。
詰まりのいちばん外側の縁に、四年前の冬の土間の隅の、届かなかった半束の薪の距離の乾いた温度の厚さが、別の形のひと粒の預かりとして保たれていた。
「——フィオナさん。少し、歩きませんか。坂の上の、草のところまで」
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坂の上。
学び舎の板の壁の外から、四つ、五つの歩幅分。冬の終わりの溶けきらない凍った土の外の層の下で、昨日までの霜の細い一筋がもう半寸、深く溶けはじめていた。
小さなひらけた草の斜面の手前のところで、レオン先生の半歩が止まった。私はその半歩後ろから、半歩隣に並んだ。膝は折らなかった。
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見上げた先のところ。
冬の終わりの夜空のいちばん深い底の層に、遠い遠い一粒の星のいちばん外の縁の光が深く保たれていた。一つ、二つ——数えるには多すぎる、たくさんの光の粒。
五年分、公爵邸の最上階の子供部屋の分厚い絹の覆いの内側からは、一度もまっすぐに見上げたことのなかった同じ冬の終わりの空。その同じ一粒の光のところに、今夜、翡翠色の瞳のいちばん深い層を深く置いた。絹の覆いは、ここにはなかった。
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レオン先生は、しばらく口をひらかなかった。
右手は外套の左の胸の内側に深く預けられたまま。左手の指の腹がひと呼吸ひらかれかけて、またひらかれなかった。
快活な温度は、今夜、半寸引き下がったままだった。
いつもの昼、学び舎の板の床のところで「すごいな、それ」「わからない、けれどもやってみよう」を子供たちの三拍子の手遊びの真ん中に運び続けていた、同じ喉の手前の層。そこが今夜、もう半寸深く乾いていた。
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レオン先生の喉のいちばん深い底から、低く深く乾いた別の形の声の最初の一粒が、静かに置かれた。
「——フィオナさん」
「俺は……その……」
言いさしのふた粒分の乾いた温度の厚みが、声の外の縁に保たれていた。
「うまく言えない」
「君の前に立つと、いつもの声が半寸乾く」
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半寸の静けさ。
レオン先生の喉のいちばん深い底から、低く別の形に湿ったもう一筋の声の手前の一粒が、静かに置かれた。
「——四年前の冬。土間の隅の半束の薪の距離のところで、俺はひと粒間に合わなかった」
「ヨナという八歳の子だった」
「あの子のところに届かなかった半束の薪の乾いた温度の厚さを、俺は四年、外套の左の胸の内側に預け続けた」
私は翡翠色の瞳のいちばん深い層を保ったまま、頷きを浅く下ろした。
「——……ええ。存じております。あなたはヨナ君を『救えなかった』の隣に『教えられた』を深く並べられた」
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レオン先生の深い緑の瞳が、ひと呼吸、深く湿った。
「——フィオナさん。君が初めて辺境の戸口の板の敷石の外に立たれた、あの冬の終わりの朝から、俺は」
ひと呼吸。
「半寸乾いていた喉の手前のところに、別の形の湿った一筋が深く届きはじめた」
「君の『都合のいい女』という形は、俺は見てはこなかった」
「見てきたのは、歌の三拍子のひとつ目の拍の手前のところでルーカス様の『ち、ち……』の三音節をほどかれた、君の翡翠色の瞳のいちばん深い層のひと粒の温度だけだ」
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五年分。
公爵邸の広間のいちばん奥の漆喰の層のところで、「所詮、子守係にすぎない女だった」という乾いた温度の厚さが五年分、私自身の指の内側の深い底に深く運ばれ続けていた。
婚約の書面の下の縁にも、私自身へのひとつの言葉は置かれなかった。私は「子供たちが毎日、私の名前を呼んでくれる。それで十分」という形で受け取った。
「ためなら」ではなく「だから」という形で五年分、膝を折り続けた。「都合のいい女」でいることを自分で選んだ五年。誰からも「選ばれる」を望まなかった五年。
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翡翠色の瞳のいちばん深い層に、ひと呼吸、深く湿った一筋の温度が昇った。昇った先で、五年分、頬の外側には下ろされなかった同じ一粒の温度が、今夜初めて、頬の外側のいちばん薄い層のいちばん外の一粒のところに半寸下りかけた。
下りきらなかった。半寸手前のところで、瞼のいちばん内側の層に深く留められた。
——子供たちは板張りの小部屋の低いところで、寝息をひとつに均されている。今夜、頬の外側までは下ろさなかった。
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レオン先生の喉のいちばん深い底から、もう一筋、深く低く、ひと呼吸湿った声の手前の一粒が置かれた。
「——フィオナさん。俺は……その……」
九文字。
ひと呼吸。
「君の、そばに——いたい」
九文字。
点は、打たれなかった。
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静けさ。
冬の終わりの夜空のいちばん深い底に、遠い遠い光の粒が深く保たれたまま。
レオン先生は続きを置かなかった。置かない代わりに、右手の指の腹がひと呼吸ひらかれて、半寸手前のところでもう一度止まった。
「君が子供たちのためにだけ生きる、というその半歩のところに、俺の半歩を重ねようとは思わない」
「君の半歩の隣のところに、俺の半歩を別の形で並べさせてほしい」
「半寸詰まったこの快活さと、四年前の届かなかった半束の薪の乾いた温度の厚さを、君の五年分の『選ばれなかった』の隣の半寸のところに置かせてほしい」
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私はひと呼吸、深く息を吸った。
吸った半寸のところで、五年分折り続けた膝のいちばん深い底の、名前のついていなかった私自身の一粒の温度が、もう半寸上の方へほどけた。
ほどけた半寸のところで、翡翠色の瞳のいちばん深い層を、レオン先生の深い緑の瞳のいちばん手前の縁にまっすぐ置いた。
大人の目の、ちょうど合う位置のところで。
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五年分。
「選ばれる」を望まなかった五年。今夜レオン先生が置かれたのは、「選ぶ」でも「選んで、ほしい」でも「選ばれたい」でもなかった。
——「そばに、いたい」。
「選び、合う」の遠い延長線の上の、いちばん手前の一粒。
五年分、私自身が一度も自分の指の内側のいちばん深い底に声の形で預けたことのなかった同じ「そばに、いたい」という言葉が、今夜、別の大人の声のいちばん深い底から深く届いた。
届いた先で、翡翠色の瞳のいちばん深い層からひと粒、細い水分の光の粒が、今夜初めて頬の外側のいちばん薄い層のいちばん外の一粒のところに深く下りた。
ひと粒。
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レオン先生の右手の指の腹がひと呼吸ひらかれて、半寸手前のところでもう一度止まった。止まった先で、迷いの出る癖の手前のところから別の一筋の温度が深く運ばれた。
運ばれた先で、外套の左の胸の外側の縁から半寸ほどけた指の腹が、私の肩掛けの麻の織りの縁のところに深く届きかけて、半寸手前で止まった。
問いの形で、止まっていた。
私は右の手のひらの指の腹を、肩掛けの麻の織りの縁から半寸、外に運んだ。運んだ先で、レオン先生の指の腹の半寸外のところに深く並べた。
私の側から。
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レオン先生の右手の指が深くほどけた。ほどけた先で、私の右の手のひらの指の腹に深く重ねられた。
初めて。
五年分、公爵邸の朝の廊下の外で保たれ続けていた同じ半寸の距離が、今夜、別の形の大人の手のひらの指の腹の温度のひと粒で深くほどかれた。
レオン先生の手のひらの手前の層に、白墨の粉の細い一筋の薄い層が保たれていた。子供たちと一日、板の床のところで三拍子の手遊びを重ねられた、同じ手のひら。
冷たくはなかった。雪解けの夜の乾いた空気のいちばん低いところでも、深く温かかった。
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私は半寸、浅く息を吸った。
吸った半寸のところで、五年分、指の内側のいちばん深い底に保たれ続けていた「ためなら」の遠い延長線の上の最後の一筋が、今夜、もう半寸深くほどけた。
ほどけた半寸のところで、「だから」の五年分の遠い延長線の上に、もう一つ別の三文字が静かに並べ置かれた。
——「自、分、の」。
三文字。
私自身の幸せ。
今夜初めて自分の指の腹に深く受け取った、「選び、合う」の遠い延長線の上の、いちばん手前の一粒。
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私の喉のいちばん深い底から、浅く深く湿った声の手前の一粒が、静かに置かれた。
「——はい」
二文字。
「レオン先生。私も、あなたの半歩の隣のところに自分の半歩を並べていたいです」
「五年分、『都合のいい女』という形で置き続けた私自身の一粒の温度を、今夜、別の形であなたの指の腹の半寸横に並べていたいです」
点は、打たなかった。
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レオン先生の深い緑の瞳が、ひと呼吸、深く湿った。
湿った先で、左の手のひらの指の腹がゆっくり外套の左の胸の内側からほどけた。ほどけた先で、私の翡翠色の瞳のいちばん深い層の半寸外の、まつげの薄い層の下に深く届いた。
届いた先で、今夜初めて頬の外側のいちばん薄い層のいちばん外の一粒のところで深く保たれていた水分の光の粒の、半寸外の縁に深く並べられた。
触れられるのでは、なかった。
触れられない代わりに、半寸手前のところで、指の腹の半寸外の層の乾いた温度の一粒が、まつげの薄い層の下で深く保たれていた。
ひと粒の光を、拾われた。指の半寸外の層のところで。
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「——……ありがとうございます」
十文字。
レオン先生の声のいちばん細い縁の層から、深く湿った「ありがとう」という言葉の遠い延長線の上の、いちばん手前の一粒。
五年分、公爵邸の朝の廊下の頭下げのところで私自身が子供たちのために言葉の形で置き続けた同じ言葉が、今夜、別の大人の声のいちばん深い底から私自身に深く返された。
初めて。
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冬の終わりの夜空のいちばん深い底の、遠い遠い光の粒のひとつが、ゆっくり深く保たれていた。
坂の下のカタリナ様の獣脂灯のひと筋の光の外側の縁が、冬の終わりの雪解けの風のいちばん低い方角のところで半寸、傾いたまま。フリーダさんの家の灯。ヤン君の家の灯。白い髪の年配の女のいちばん小さな灯のひと粒。半月分、半寸ずつ辺境の板の敷石の外へ運ばれ続けてきた同じ小さな温かい光たちが、今夜、坂の上の草の斜面の手前のところまで遠く遠く届いていた。
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レオン先生は、半歩、静かに引かれた。
引かれた半寸のところで、私の右の手のひらの指の腹から、レオン先生の指の腹が深くほどかれた。
ほどかれた先で、お互いの半歩の距離の手前のところに、今夜初めて、五年分の半寸の距離とは別の形の「選び、合う」の遠い延長線の上の、いちばん手前の一粒の温度が深く保たれた。
「——戻りましょう。子供たちの寝息がひとつに均されたままの、いちばん外の縁のところに。明日の朝も、粥の湯気の手前の縁が昇ります」
私は半寸、浅く頷いた。
「——はい。レオン先生。参りましょう」
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戻り道の坂の半ばのところ。
レオン先生の半歩の隣に、私の半歩が静かに並べられていた。半歩の内側のところで、お互いの外套の袖の外側の縁がひと呼吸ずつ、半寸触れては離れた。触れては離れた半寸の五つ、六つ、七つ分のところで、坂のいちばん下の学び舎の板の敷石の外まで届いた。
戸口の半歩内側のところ。マルタが、茶色の瞳のいちばん深い底に何の言葉も置かずに深く頷かれた。
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板張りの小部屋の低いところ。
五人の寝息は、ひとつに均されたまま保たれていた。私は竃の端の椅子で、膝の上の四冊目の観察記録ノートをもう一度ひらいた。鉛筆の削りたての薄い粉の層のいちばん細い縁のところで、今夜、三行を静かに置いた。
「レオン先生。坂の上の草の斜面のいちばん手前の節のところで、『——君の、そばに——いたい』の九文字」。
「私自身。『——はい』の二文字。『自分の幸せ』の五文字を初めて指の内側に受け取った」。
「星空。選ばれる、ではなく——選び、合う」。
点は、打たなかった。
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鉛筆のいちばん手前の縁のところで、最後にもう一行だけ、小さく静かに置き足した。
「このノートには子供たちの記録しか置かないつもりだった。今夜一行だけ、私自身の一粒の温度を置かせていただきました」。
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竃の赤い残り火のいちばん奥で、薄い橙の層が半寸、傾いた。戸口の板の縁の外で、レオン先生の半歩のいちばん外側の足音の一筋が、学び舎の隣の板敷きの教師部屋の方角へ深く下ろされた。
——選び、合う。
五文字。
声にはしなかった私自身のいちばん深い底の一粒の温度が、「——君の、そばに——いたい」の九文字と「——はい」の二文字の、二つの遠い延長線の上のところに、静かに並んで保たれた。
星空の下で。
頬の外側のいちばん薄い層の半寸下のところに、ひと粒の水分の光の粒の半寸の温度が深く保たれたままで。
点は、打たなかった。