卒園式の約束
2026年2月22日
2026年2月22日
◆グレイヴス視点
——私は、
あの言葉が、まだ耳に残っている。
「あんたも子どもを守る側の人間やろ。なんで——なんで送り出すんよ」
鎧が——軋んだ。
58年かけて積み上げた鎧。秩序という名の、鎧。
魔力で砕かれたのではない。聖剣で斬られたのでもない。
あの魔王に——叱られて、ヒビが入った。
漆黒の髪。深紅の目。額の双角。威圧的な美貌のはずなのに——あの目だけが、妙に温かかった。
あれは「怒り」ではなかった。
子どもを育てる者の——叱りだった。相手を潰すための言葉ではなく、相手を見ている者の言葉だった。
空が白んでいる。朝だ。
一晩中——動けなかった。
「……大司教。兵たちが……指示を求めています」
フェルトの声。背後に立っている。
「撤退する」
声が出た。自分の声だ。
荘厳さは——ない。大聖堂の天井で磨かれた声ではない。ただの、疲れた老人の声だ。
「……大司教?」
「聞こえなかったか。——撤退だ」
フェルトが一礼して走っていった。
……撤退。
敗北ではない。保留だ。
——そう、思いたい。
一度だけ、振り返った。
魔王城の門が見える。門の脇に——マリーゴールドが咲いている。
鉄色の目が——何かを映した。一瞬だけ。
背を向けた。歩き出した。
鎧のヒビは——塞がらない。
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◆シオン視点
聖教会の旗が遠ざかっていく。
白い鎧の列が、朝もやの中に消えていく。
自分は——門の前に立っていた。
白い鎧を着たまま。聖剣を腰に佩いたまま。
隊列について行けば——聖教会に帰れる。
冷たいパンとぬるいスープの食堂に戻れる。命令がある場所に戻れる。
足が動かなかった。
命令がないから、ではない。
「シオンくん(^^)」
振り返った。
門の中に、全員が立っている。よしこが——エプロンのまま、こちらを見ている。
「あんたらはどうする? ついて帰ってもええんやで(^^)」
問いだ。命令ではない。
帰れ、とも言っていない。帰るな、とも言っていない。
——どうする? と。
聖教会では、問われたことがなかった。
「行け」か「来い」のどちらかだった。
灰色の目で、遠ざかる隊列を見た。
灰色の目で、門の中のよしこを見た。
胸の奥で——名前のない何かが、動いた。
温かくて、苦しくて、もどかしい。
でも今は——わかることが一つだけある。
「自分は——残ります」
自分の声だった。命令ではない。任務報告でもない。
自分が——自分で——選んだ。
15年の人生で、初めて。
「……残ります。ここに」
もう一度言った。繰り返す必要はなかった。でも——もう一度言いたかった。自分の声で。
よしこの深紅の目が、ゆっくりと細くなった。
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◆ミーナ視点
シオン隊長が——「残ります」と言った。
命令口調ではなかった。震えていた。でも——まっすぐだった。
遠ざかる隊列を見た。帰ったら——元の場所だ。「笑顔でいなさい」「泣いてはいけません」「あなたの価値は回復魔法です」。
「わたしも、残ります」
涙が落ちた。笑顔のまま。
でも今回の涙は——前とは違う。温かいものに触れて泣いたのではない。自分で選んで、泣いている。
左手で涙を拭った。自分で。拭いても拭いても出てくる。
「ミーナちゃん(^^) 泣いとるなぁ」
「……はい。わたしは——泣いています。嬉しくて」
言えた。嬉しい、と。自分の感情に——名前をつけた。
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◆トール視点
シオン隊長が残ると言った。ミーナが泣いている。
ガルドを見た。190cmの背中。エプロン。昨日もパンを焼いてくれた。
「……俺も残る」
理由は——。
「……ガルドのパンがうまい」
それだけで——十分だった。
「ト、トールくん……! パン……うまいって……えへへ……」
泣くな。泣くなよ。——泣いていいけど。
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◆レオン視点
三人が——残った。
聖教会の「完璧な勇者パーティ」が——自分で選んで、ここに残った。
シオンの灰色の目を見た。
あの日の俺と同じ目だ。命令書にない場所に立って、何をしていいかわからなくて、でも——足が動かない目。
「シオン」
「……レオン殿」
「……よく言ったな」
俺も——あの日、よしこの「ごはん食べた?」に素直に答えられなかった。
でもこいつは——初めての選択で、声が震えてても、言い切った。
「俺より——やるじゃねーか」
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◆よしこ視点
三人残った。シオンくん。ミーナちゃん。トールくん。
——ほなまた園児が増えたな(^^)
泣きそうや。エプロンの裾でこっそり目をこすった。ティアちゃんの尻尾がぱたぱた揺れてる。ばれてるやんか。
「ヴェルちゃん。ごはんの支度や(^^) 全員分」
「……全員、とは。何名でしょうか」
「十一人(^^)」
「…………かしこまりました」
ヴェルちゃんが300年分くらい長いため息をついた。
「ガルくーん!(^^) 十一人分や!」
「じゅ、十一人……!? 鍋が足りません……!」
トールくんがガルくんの横に立った。
「……手伝う」
「え、トールくん手伝ってくれるの? えへへ、じゃあパンこねて!」
185cmと190cmが並んでパンをこねてる。厨房が狭い。でも——ええ景色や。
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食堂。テーブルを二つ繋げた。それでも狭い。
窓の外は晩秋の空。木の葉がほとんど落ちて、朝の光が素通りしてくる。
十一人。過去最大や。
トールくんがパンの山を運んできた。焼きたて。
「ガルド。このパン、形が悪い」
「初めてだからしょうがないよ……えへへ、でも味は大丈夫!」
トールくんが自分の焼いたパンをかじった。
「……うまい」
「えへへ……!」
シオンくんが——スプーンを手に取った。命令されずに。自分から。
ミーナちゃんが笑っている。笑顔のまま——でも今日は、目も笑ってる。
ピプちゃんがガルくんの肩からテーブルに飛び降りた。
「よしこー! いただきますはー?」
「そうやな(^^)」
両手を合わせた。
「いただきます(^^)」
十一人の声が重なった。ばらばらで、タイミングもずれてて、レオンくんなんか小声で照れてて、シオンくんは一拍遅れて。
でも——全員の声が、聞こえた。
食べた。喋った。笑った。
ガルくんがおかわりを聞いて回って、トールくんが黙って器を集めて、ピプちゃんがスープをこぼして、レオンくんが「こぼすなガキ!」って怒って。
リーゼちゃんが——静かにパンを三枚食べた。三枚。この子が三枚。えらいなぁ。
ヴェルちゃんがお茶を飲みながら、食堂を見渡してる。
「……魔王様」
「ん?(^^)」
「……賑やかですな」
「せやろ(^^)」
保育園もこうやった。給食の時間はいっつもこうやった。
——ここは、魔王城や。保育園やない。
でも——同じや。テーブルの上に温かいもんがあって、全員の顔が見えて、笑い声が聞こえる。
食事が一段落した。窓の外を見た。
聖教会の旗は——もう見えへん。終わってへん。聖教会もあのシステムも。
でも——。
「みんな(^^)」
全員が振り返った。
「聖教会のことも、勇者のことも、まだ全然解決してへん(^^)」
「いつかちゃんと終わらせよな」
全員の顔を見た。一人ずつ。
「でも今日は——」
笑った。
「——ごはん食べよ(^^)」
ガルくんが鍋を持って走ってきた。
「お、おかわりありますよ! えへへ!」
レオンくんがシオンくんの隣に座り直した。
「おい。『殿』はやめろ。こそばゆい」
「……何と呼べば」
「……好きに呼べ」
シオンくんが——少しだけ、口元を動かした。
笑顔とは呼べないかもしれない。微かすぎて、見逃すくらい。
でも——わてには見えた。
「魔王様。——これで園児は何名になりましたか」
「数えてないけど——全員やで(^^)」
「…………かしこまりました」
ヴェルちゃんも園児やで(^^)
——それは言わんとこ。金色の目がちょっと怒ってるし。でも口元が緩んでる。
十一人の食堂。うるさくて、狭くて、散らかってて。
でも——温かい。
まだ何も終わってへん。
でも今日は——ごはんが美味しい。
全員の顔が見える。
それでええ。
今日は——ごはんの日や。
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【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第44話「卒園式の約束」。Arc4「聖教会の子どもたち」の最終話です。
10話かけて描いてきた「子どもを使い捨てるシステム」との対峙。正面からぶつかって、ひび割れさせて、でも——まだ壊せていない。グレイヴスは動揺したまま帰りました。「撤退する」と言った声に荘厳さがなかったこと。一度だけ振り返ったこと。あの人の中で何かが変わり始めていますが、まだ認められない。
シオンが「残ります」と言ったシーン。「もう一杯」と自発的に言えた少年が、今度は自分の人生を自分で選びました。二度言ったのは、一度では自分でも信じられなかったからです。
ミーナが涙に「嬉しい」と名前をつけたこと。前回は温かさに触れて泣きました。今回は、自分で選んで泣いた。感情に名前をつけることは、自分を取り戻すことです。
トールの「ガルドのパンがうまい」。言葉の少ないこの子が選んだ理由は、たったこれだけ。でも——これ以上の理由があるでしょうか。
タイトルの「卒園式」。まだ卒園ではありません。卒園は最終章です。この話は「約束」——いつかちゃんと終わらせるという約束。でも今日は、ごはんを食べよう。それがよしこの哲学です。
11人の食卓。この作品で最も人数が多い食事シーンです。うるさくて、狭くて、散らかっていて——温かい。
次のアークでは、魔王城を飛び出して新たな冒険が始まります。どこへ行っても、よしこは「ごはんの時間」を守ります(^^)
ブックマーク・評価をいただけると、食卓がもう一つ広くなります。感想もお待ちしています。Arc4お付き合いいただきありがとうございました。