ドルガの手紙
2026年2月22日
2026年2月22日
◆ドルガ視点
夜。
食堂のテーブルに紙を広げた。ペンを持った。
——手紙を書く。
字を覚えてから、これが初めてだ。
ペンを持つ手が——震える。こんな細い棒で文字を書くというのは、やはり不自然だ。戦斧の柄は握り慣れている。剣の柄も。だがペンは——力加減がわからない。
紙に先端を押し当てた。
「…………」
何を書く。
誰に書く。
——部下たちだ。
魔王軍第三師団。俺が率いていた千の兵。先代の時代から200年以上——ナハトレーゲンが玉座にいた頃から、共に戦った者たちだ。
今は——城の外の拠点に駐屯している。命令は「待機」。新魔王の方針が定まるまで、動くな。
ヴェルザが出した命令だ。部下たちは従っている。
200年以上、俺の背中を見て戦った。
その俺が——今は魔王城で、パンを焼いている。
知らせなければならない。
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一文字目。
「オ」。
——違う。「お」だ。手紙だからひらがなのほうがいいとレオンに教わった。
消した。書き直した。ペンの先がかすれる。
「お」「ま」「え」「た」「ち」「へ」。
——6文字で息が切れた。
戦斧を100回振っても息は切れないのに、ペンを6文字動かしただけで額に汗が出る。
「……フン」
拭った。続けた。
「ド」「ル」「ガ」「だ」。
10文字。戦場で10人斬るより疲れる。
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◆レオン視点
食堂の入口から——覗いた。
ドルガが、テーブルに向かっている。背中が丸まっている。210cmの巨体が、ペンに合わせて縮こまっている。
——手紙を書いている。
最初に字を教えた時のことを思い出す。
俺も字が読めなかった。よしこに教わって、ドルガにも教えた。二人で字の勉強をしているのをヴェルザに見られた時は——あいつ、5秒くらい固まってた。
ドルガの字は——俺より上手くなった。悔しいが。
あの太い指で、一文字一文字丁寧に書く。力が入りすぎてペンの先を折ることが何度もあったが、今は——まだ折っていないらしい。
入った。
「……おい」
「ン?」
ドルガが——振り返った。赤い目が、ペンの上から俺を見ている。
「……勝手にしろ」
向かいに座った。
テーブルの上に——書きかけの手紙がある。大きな字。ドルガの字は俺より上手いが、大きい。紙の幅いっぱいに文字が並んでいる。
読んだ。
「おまえたちへ。ドルガだ。げんきか。おれはげんきだ」
——ここまでで息が切れたらしい。ペンが止まっている。
「……続きは?」
「……考えている」
「何書くんだよ」
「……報告だ。俺の部下に——魔王城がどうなっているか伝える」
ドルガが——ペンを持ち直した。
「200年一緒に戦った。——何も言わずに城にいるのは、筋が通らん」
「…………」
ドルガがペンを動かした。ゆっくりと。一文字ずつ。
「ま」「お」「う」「じ」「ょ」「う」「は」「か」「わ」「っ」「た」。
魔王城は変わった。
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◆ドルガ視点
書いた。
少しずつ。
「にんげんのこどもがいる。せんだいのころにはいなかった」
いる。3人。レオンとリーゼとガルド。ティアとトールもいる。シオンもいる。——人間のほうが多い。
「まおうがめしをつくる。まいにち」
毎日だ。朝昼晩。よしこは——毎日、全員分の飯を作る。先代の時代、魔王が飯を作ったことなど一度もなかった。
「ぱんがうまい」
書いた。
——ガルドのパンが、美味い。あいつに教わって、俺も焼いた。不格好だった。膨らまなかった。だが——食べられた。よしこが「ドルガさんのパン、味があるなぁ(^^)」と言った。味がある、という褒め方がよくわからなかったが、悪い気はしなかった。
「おれもぱんをやいた。へたくそだ。でもくえる」
レオンが——向かいで黙っている。覗いている。読んでいるのだろう。
「……レオン」
「ん?」
「この字、合ってるか」
「ぱん」の「ぱ」を指さした。半濁点の位置が自信がない。
「……合ってる」
「フン。当然だ」
「つーか、お前の字、俺より上手くなったな」
「……当然だ」
二度言った。照れ隠しだ。自分でわかっている。
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続きを書いた。
「ひとりもしんでいない。たたかいもない」
200年、部下たちと共に前線にいた。毎年、何人かが死んだ。戦死。負傷。病。
魔王城に来てから——誰も死んでいない。戦いもない。
「めしがまいにちでる。あさもひるもよるも」
先代の時代。兵士たちの食事は配給だった。干し肉と硬いパン。毎日同じ。美味くも不味くもない。ただの燃料。
今は——味がする。塩が効いていて、ニンジンが甘くて、パンが温かい。
「…………」
ペンが止まった。
何を書けばいい。
報告は書いた。状況は伝えた。だが——足りない気がする。
レオンを見た。
「……小僧」
「俺は小僧じゃねぇっつーの」
「……手紙に何を書けばいい」
「知るかよ。お前の部下だろ」
「…………」
レオンが——顎に手を当てた。考えている。
「……俺だったら——『元気か』だけでいいと思うけど」
「もう書いた」
「じゃあ——『待っててくれ』とか」
「…………」
待っててくれ。
部下たちに。——待て。俺はもう少し、ここで見る。魔王城がどうなるか。和平がどうなるか。
200年一緒に戦ってきた。だから——もう少しだけ待ってくれ。
書いた。
「もうすこしまて。おれがみている」
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◆レオン視点
ドルガが——手紙を書き終えた。
紙が2枚。大きな字でびっしり埋まっている。最後の一文。
「もうすこしまて。おれがみている」
——いい手紙だと思った。言わないけど。
ドルガが紙を丁寧に折った。あの太い指で——潰さないように、慎重に。
封筒に入れた。封筒も大きい。ヴェルザに頼んで用意してもらったらしい。
表に——宛名を書く。
「だいさんしだんのみんなへ」
——「みんなへ」。
ドルガが「みんな」という言葉を使うのを、初めて聞いた気がする。いつも「貴様ら」だ。
手紙だと——違うのかもしれない。
「……ドルガ」
「なんだ」
「それ——どうやって届けるんだ?」
「ヴェルザに頼む。伝令を出してもらう」
ドルガが封筒を持ち上げた。しばらく眺めた。
「……小僧」
「だから小僧じゃ——」
「……ありがとよ」
——え?
ドルガが——テーブルの上に目を落とした。赤い目が——どこか穏やかに見えた。
「字を教えてくれたのは——お前だ」
「いや——よしこが教えたんだろ。俺は——」
「お前も教えた。『ぱ』の半濁点。お前に教わった」
——そうだっけ。覚えてないけど。
「お前がいなかったら——この手紙は書けなかった」
ドルガが立ち上がった。210cmの巨体が食堂の天井に近い。
「もう寝る。——おやすみ、小僧」
「…………」
おやすみ。
ドルガが「おやすみ」と言った。この大男が。——よしこに影響されすぎだ。
だが——。
「……おやすみ」
返した。小さく。
食堂に一人残った。
テーブルの上に——ペンの跡が残っている。ドルガが力を入れすぎて紙の下のテーブルに線がついた。太い線。
——笑った。声は出さなかった。
立ち上がった。食堂を出た。
廊下で——ガルドとすれ違った。
「あ、レオンくん。まだ起きてたの?」
「……ん。ちょっと」
「食堂にお水取りに——」
「ああ。テーブル、ちょっと傷ついてるけど気にすんな」
「……え?」
説明しなかった。
自分の部屋に戻った。
——ドルガの手紙。ひらがなだけの、大きな字の手紙。
「ぱんがうまい」。
200年戦い続けた武将が、部下に送る手紙の一文が——「ぱんがうまい」。
この城は——何かがおかしい。
でも——悪くない。
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【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第62話「ドルガの手紙」。ひらがなだけの手紙の話です。
ドルガは字が読めませんでした。レオンも読めなかった。二人でよしこに教わり、お互いに教え合い、今ではドルガの字がレオンより上手い。——レオン、ちょっと悔しそう。
手紙の内容は報告書というよりも近況報告です。「魔王城は変わった。人間の子どもがいる。パンが美味い。俺もパンを焼いた。へたくそだ。でも食える」。200年の武将がこれを書いている。部下たちがこれを読んだら——たぶん、信じない。
「もうすこしまて。おれがみている」。これがドルガの精一杯の言葉です。「大丈夫だ」とも「心配するな」とも言わない。ただ「俺が見ている」。——それで十分だと思います。
ドルガがレオンに「ありがとよ」と言うシーンは、この話で一番書きたかった場面です。この二人は「似た者同士」として描いてきました。粗暴で、不器用で、素直になれない。その二人が——手紙をきっかけに「ありがとう」を交わす。静かだけど、大きな変化です。
次回、第63話「もう一つの真名」。ヴォルグラーナの意味に、もう一歩近づきます。
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