卒園式
2026年2月22日
2026年2月22日
◆よしこ視点
朝。まだ誰も起きてへん時間。
厨房の作業台に——羊皮紙を三枚、広げた。
インクと羽根ペン。この世界にはボールペンがないから、羽根ペンで書く。前世では筆ペンやったけど、やることは同じ。
保育園で——40年間、毎年やってきたこと。
卒園証書。
名前と、その子のええところと、「がんばったね」の言葉を書く。園長の仕事の中で一番好きやった仕事。
卒園する子の顔を思い浮かべながら書く。この子はどんな子やったか。何ができるようになったか。何を頑張ったか。
一人ひとり違う。同じ証書は一枚もない。
——レオンくん。
字が読めなかったこの子が、手紙を書けるようになった。聖剣が光った。「勇者」やなくて「レオン」として立てるようになった。
——リーゼちゃん。
ごはんを食べなかったこの子が、自分でスープを作った。「食べて」と言えるようになった。あの一言で——わて、泣いてしもた。
——ガルくん。
「戦えない」と泣いとったこの子が、パン屋をやると宣言した。自分の夢を——自分の言葉で言えるようになった。
羽根ペンを持つ手が——震える。
あかん。字が歪む。
深呼吸。保育士は泣かへん。——いや、今日は泣くかもしれへんけど、証書を書く間はあかん。インクが滲む。
一枚目。レオンくんの。
二枚目。リーゼちゃんの。
三枚目。ガルくんの。
書いた。一文字ずつ。丁寧に。
異世界の文字やけど、もう慣れた。ヴェルちゃんに教わって——ドルガとレオンくんが字を覚えるのと一緒に、わても覚えた。
三枚。乾かす。
窓の外が白んできた。朝日が差す前の、青い時間。
煙突から煙は出てへん。まだ竈に火を入れてへんから。
——今日の昼ごはんは、わてが作る。
全員分。今日だけは。
---
◆ヴェルザ視点
食堂の机と椅子が——動かされていた。
朝、食堂に入ったら——いつもの配置ではなかった。
長テーブルが端に寄せられ、椅子が半円形に並べられている。正面に——小さな台。テーブルクロスが敷かれている。白い布。
台の上に——羊皮紙が三枚。
「魔王様」
「おはよう、ヴェルちゃん(^^) ちょっと模様替えしてん」
「……これは」
「卒園式(^^)」
魔王様が——笑っている。いつもの「(^^)」の顔。エプロンをしている。何か準備していたのだろう。朝の光が食堂の窓から差し込んで、黒と紫のローブの裾がオレンジに染まっている。
「保育園でな、子どもが巣立つ時にやるんよ。証書渡して、お別れの言葉言うて、みんなで泣いて——ほんで、笑って送り出す」
「…………」
「レオンくんとリーゼちゃんとガルくんに——今日、渡す。わての園児やからな(^^)」
——知っていた。
この日が来ることを。
この子たちが——巣立つことを。
「……かしこまりました。——全員を、集めます」
「頼むわ(^^)」
---
◆レオン視点
食堂が——変わっていた。
椅子が並んでいる。半円形。正面に台。白い布。
何がどうなってるんだかわからねぇ。
「レオンくん、ここ座って(^^)」
「……何すんだよ」
「卒園式や(^^)」
「は?」
横を見た。
リーゼが隣に座っていた。いつもより少し背筋が伸びている。ガルドがその隣。——泣いてる。もう泣いてる。まだ何も始まってない。
「ガルド、早えぇよ」
「だ、だって……よしこさんが、卒園式って……」
「始まってねぇだろ」
「う、うん……でも……」
後ろの椅子に——全員がいた。
ヴェルザが腕を組んで座っている。ドルガが隣で同じく腕を組んでいる。メルがハンカチを膝に置いている。ピプが椅子の上で正座している。ティアが一番後ろで尻尾を膝の上に抱えている。
シオンとミーナが右端。トールがその隣。カインが——壁際に立っている。
グレイヴスが——食堂の入口の柱に寄りかかっている。中には入ってきていない。でも——いる。
全員。
この城にいる——全員。
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◆よしこ視点
台の前に立った。
羊皮紙を三枚、手に持っている。
全員がこっちを見とる。
——保育園の卒園式を、何十回やったか。
毎年泣いた。保育士は子どもの前で泣かへんけど、卒園式だけは——泣いてもええことにしてた。だって、あの子たちの成長を一番近くで見てきたんやもん。
今も——同じや。
この子たちの成長を、一番近くで見てきた。
字が読めなかった子。ごはんを食べなかった子。戦えないと泣いた子。
その子たちが——今、目の前に座っとる。
「……えー(^^)」
声が出た。いつもの声。保育園の園長の声。
「今日はな、卒園式やります」
レオンくんが「は?」って顔をしとる。リーゼちゃんは無表情。ガルくんはもう鼻をすすっとる。
「レオンくん。リーゼちゃん。ガルくん。——あんたら三人は、今日で卒園や」
「卒園って……」
「巣立ちや(^^) あんたらはもう、自分の足で歩ける。やから——送り出す」
羊皮紙を一枚、手に取った。
「一人ずつ、前に来て。証書渡すから。——ほんで、一言だけでええから、何か言うて」
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◆レオン視点
名前を呼ばれた。
「レオンくん(^^)」
立ち上がった。足が——少し震えた。なんでだ。戦う時だって震えなかったのに。
台の前に行った。よしこが立っている。黒と紫のローブ。深紅の目。——目だけが、いつもと同じ。優しい。
羊皮紙を——差し出された。
「レオンくん。——これ、あんたの卒園証書や」
受け取った。
手書き。よしこの字。少し癖のある、丸っこい字。
俺は——読めた。この字が読める。
一年前は読めなかった。字というものを知らなかった。
——思い出した。
よしこが「字ぃ教えたるわ(^^)」と言った。ドルガと並んで、石板に一文字ずつ書いた。「レ」「オ」「ン」。自分の名前を、生まれて初めて書いた。
証書にはこう書いてあった。
『卒園証書 レオンくんへ
あんたは字が読めへんかった。でも諦めへんかった。
あんたは素直になれへんかった。でも仲間を守った。
あんたの名前は、レオン。あんたが自分で選んだ名前や。
えらいな。よう頑張ったな。
園長 よしこ(^^)』
字が——滲んだ。
インクが滲んだんやない。俺の目が——滲んだ。
「……一言、言えるか?」
「…………」
懐から——紙を出した。
昨日の夜、書いた。何を書けばいいかわからなくて、三回書き直した。字は下手だ。ドルガに「俺のほうが上手い」と言われた。
紙を開いた。手が震えている。
「……俺は」
声が掠れた。
「俺は——ここに来た時、名前しか持ってなかった」
「それも——自分じゃ好きになれなかった」
「字が読めなかった。仲間を守れなかった。ごはんを食ったことも——まともに、なかった」
——止まるな。最後まで読め。
「あんたが——字を教えてくれた」
「あんたが——ごはんを作ってくれた」
「あんたが——俺の名前を、毎日呼んでくれた」
紙がぐしゃりと音を立てた。握りしめていた。
「俺は——ここに来て——初めて、自分の名前が好きになった」
読み上げた。最後まで。字は下手だった。声は震えていた。何度も詰まった。
でも——止まらなかった。
「…………ありがとう」
よしこが——泣いていた。
「(^^)」の顔のまま。涙が二筋、頬を伝っていた。
「よう言えたな、レオンくん(^^)」
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◆リーゼ視点
「リーゼちゃん(^^)」
立ち上がった。
台の前に行った。よしこの目が赤い。さっき泣いたから。——でも笑っている。
羊皮紙を——受け取った。
『卒園証書 リーゼちゃんへ
あんたはごはんを食べへんかった。「食べなくても動ける」って言うた。
でも——あんたが作ったスープは、世界一美味しかった。
「食べて」って言うてくれた時、わて、嬉しかったわ。
えらいな。よう頑張ったな。
園長 よしこ(^^)』
——あの日のことを思い出した。
「食べなくても動ける」と言った。よしこが「あかん(^^) 食べ」と言った。押し付けるように。温かいスープを。
断れなかった。断る理由を——見つけられなかった。
一言。何か言わないといけない。
でも——長い言葉は、出てこない。
私は——いつもそうだ。レオンみたいに語れない。ガルドみたいに泣けない。
短い言葉しか——出てこない。
「…………」
口を開いた。
「……ありがとう」
それだけ。
「ごはんが——美味しかったです」
——声が、震えた。
自分の声が震えていることに驚いた。こんな短い言葉で——震えるはずがないのに。
よしこが——崩れた。
泣いた。レオンの時より、泣いた。声を上げて。「(^^)」の顔が歪んで。両手で顔を覆って。
「あかん——リーゼちゃん、それはあかん——」
「……泣かないで」
「無理や——それ言われたら——無理や——」
「……泣くのは——わたしの方だから」
目から——一滴だけ、落ちた。
証書の上に。よしこの字の上に。
——一滴だけ。
---
◆ガルド視点
「ガルくん(^^)」
名前を呼ばれた——瞬間。
もう泣いていた。
立ち上がった。足が震えた。大きな体が——揺れた。
台の前に行った。よしこさんが——目を真っ赤にして笑っている。
羊皮紙を受け取った。手が震えて——落としそうになった。
『卒園証書 ガルくんへ
あんたは「戦えない」と泣いた。でもな、ガルくん。
あんたのパンは、この城のみんなを笑顔にした。
戦わんでもええ。あんたはあんたのままで、最高や。
えらいな。よう頑張ったな。
園長 よしこ(^^)』
——あの日を思い出した。
「僕なんか足手まといで」と泣いた。よしこさんが「あんたはあんたのままでええんやで(^^)」と言った。
あの日から——僕は、少しずつ変わった。厨房に立った。パンを焼いた。みんなが「美味い」と言ってくれた。
スピーチ。一言。
何を言うか決めていた。昨日の夜、何度も練習した。でも——声が出ない。涙で喉が詰まって、声が出ない。
「ぼ——」
止まった。
「僕——」
また止まった。鼻水が出た。恥ずかしい。190cmもあるのに、泣いて鼻水垂らして——情けない。
でも——言い切る。
よしこさんが教えてくれた。「泣いてもええから、最後まで言いな(^^)」って。
「僕は——パン屋に、なります——」
声が裏返った。
「僕の——パンで——みんなを——」
止まった。息を吸った。涙が顎から落ちた。
「——笑顔に、します——!」
言い切った。
号泣しながら。鼻水垂らしながら。190cmの大きな体を震わせながら。
——言い切った。
よしこさんが——両手を広げた。
「ガルくん(^^) おいで」
抱きついた。190cmが160cmに。よしこさんの体は小さい——いや、魔王の体は175cmあるけど、抱きつくと不思議と小さく感じる。子どもたちを見守ってきた人みたいに。
——温かい。
「えらいな(^^) よう言えたな。ガルくん、立派やで」
「うぅ……ありがとう……ございます……っ」
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◆シオン視点
三人の卒園スピーチが終わった。
食堂の中が——湿っていた。空気が。全員の目が。
俺は——椅子に座ったまま、見ていた。
レオン殿が泣いた。リーゼ殿が泣いた。ガルド殿が泣いた。
三人とも——泣いた後、笑っていた。
教会では教わらなかった表情だ。泣いた後の顔。涙の跡があるのに、口元が笑っている顔。
あれが——本物の顔なのだと、今ならわかる。
口が——動いた。
「……俺も」
小さな声だった。聞こえたかどうかわからない。
でも——隣のミーナが、こちらを見た。
「俺も、いつか——卒園したいです」
一人称が「俺」になっていた。
「自分」ではなく。教会の訓練で叩き込まれた「自分」ではなく。
レオン殿から——もらった一人称。自分で選んだ一人称。
よしこ殿が——こちらを見た。
泣き腫らした目で。それなのに——笑って。
「シオンくんの卒園式は、まだまだ先やで(^^) いっぱい食べて、いっぱい寝てからや」
「……はい」
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◆ミーナ視点
泣いていた。
最初から泣いていた。レオン殿のスピーチが始まった時からずっと。
でも——今回は。
泣いた後に——笑えた。
教会で教わった笑顔じゃない。目が笑っていない、作りものの笑顔じゃない。
泣いて、鼻が赤くなって、目が腫れて——それでも口元が上がる。
これが、本物の笑顔なんだと思った。
リーゼ殿を見た。同じ顔をしていた。泣いた後の、本物の顔。
——わたしたちは、同じだった。我慢してきた少女同士。
リーゼ殿が「食べる」を取り戻したように、わたしは「泣く」を取り戻した。
そして今——「泣いた後の笑顔」を知った。
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◆ヴェルザ視点
食堂の裏——厨房への通路。
壁に背を預けて立っている。
卒園式は——見ていた。全部見ていた。椅子にも座っていた。
だが今——席を外している。
「…………」
目に——ゴミが入った。
この城は——掃除が行き届いているはずなのに。ティアの管轄だ。後で注意せねばならない。
「ヴェルザ様……?」
ティアが——通路に来た。
「……なんだ」
「あの……お顔が……」
「目にゴミが入っただけだ」
「は、はい……。あの……わたしも、同じゴミが——」
ティアの目も——赤かった。琥珀色の目が潤んでいる。尻尾がぱたぱた震えている。感情が抑えきれない時の尻尾。
「……ティア」
「はい」
「掃除を徹底しろ。目にゴミが入る」
「……はい。——でも、ヴェルザ様」
「何だ」
「このゴミは——嬉しいゴミだと思います」
「…………」
返す言葉がなかった。
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◆ドルガ視点
フン。
腕を組んで座っていた。最初から最後まで。微動だにしなかった。
小僧のスピーチも、嬢ちゃんの一言も、でかぶつの号泣も——全部見た。
フン。
鼻をすすった。——鼻水ではない。鼻が乾燥しているだけだ。この季節はそうだ。城の空気が乾いている。
「ドルガ殿」
隣のカインが——こちらを見た。
「……何だ」
「鼻、出てますよ」
「出てねぇ」
「出てます」
「黙れ、騎士」
カインが——黙った。だが、こいつも——唇を噛んでいた。目が赤い。こいつも孤児だったと聞いた。グレイヴスと同じ。教会ではないが——食えなかった子ども。
フン。
泣いてなどいない。250年、泣いたことなどない。
——小僧の字の勉強に付き合ったのは、暇だったからだ。それだけだ。
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◆メル視点
「わたくし、泣いてなどおりません」
隣の席が空いている。リーゼ殿が前に出ているから。
ハンカチで目元を押さえた。——汗だ。食堂が暑い。人が多いから。それだけのこと。
「メル、泣いてる」
リーゼ殿が——席に戻ってきた。証書を大事そうに抱えている。
「泣いておりませんわ。目が赤いのは——」
「赤い」
「——書庫の灯りのせいですわ」
「ここ食堂」
「…………」
反論できなかった。
この弟子は——いつからこんなに口が達者になったのだ。わたくしが育てた弟子が。わたくしの得意分野で——わたくしを追い詰めている。
「……成長しましたわね、リーゼ殿」
「メルに教わった」
「……ッ」
——だめだ。もう一滴落ちた。ハンカチが湿っている。
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◆ピプ視点
「うわあああああん!!」
泣いた。大泣きした。
「みんなー! 行っちゃやだー!」
レオンもリーゼもガルくんも——行っちゃうの? ここからいなくなっちゃうの?
やだ。やだやだやだ。ボク、みんなといたい。みんなが好き。おやつの時間にみんながいるのが好き。ガルくんのパンが好き。レオンがビスケット取り合いするのが好き。リーゼが静かに食べてるの見るのが好き。
「やだー! みんなー!」
椅子から飛び上がった。羽根がばたばた動いた。
よしこの前に飛んでいった。
よしこが——ボクを抱き上げた。
大きな腕。温かい胸。
「ピプ(^^)」
「行っちゃやだ……」
「行くんやない」
「え……」
「巣立つんやで(^^)」
「すだつ……?」
「鳥の子どもがな、巣から飛び立つことや。自分の翼で。——ピプ、あんた翼あるやろ(^^)」
「……ボクの翼は——飛べる翼だよ」
「そうや。飛べる翼や。——レオンくんたちもな、自分の翼で飛ぶんよ。遠くに行くけど——帰って来れる。飛んで行って、飛んで帰ってくる」
「……帰ってくる?」
「帰ってくるで(^^) ここはあの子たちの巣やもん」
「……じゃあ——ボクはここで、待ってる」
「うん(^^) 待っとき。おやつ用意しといたり」
「……うん」
鼻をずずっと鳴らした。
よしこの胸に顔を埋めた。温かい。よしこはいつも温かい。炉を抱く者の胸は——ほんとに、温かい。
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◆ティア視点
卒園式が——終わった。
三人が——証書を手に、席に戻った。
レオン様の目が赤い。リーゼ様の頬に涙の跡がある。ガルド様は——まだ泣いている。
わたしは——一人ひとりの前に行った。
「い、いってらっしゃいませ……!」
レオン様に。
「……おう。——世話になった」
レオン様が——ぶっきらぼうに言った。でも目が笑っていた。
「い、いってらっしゃいませ……!」
リーゼ様に。
「……ティア。——ありがとう。いつもお茶、美味しかった」
リーゼ様が——言った。こんなに長い文を、リーゼ様から聞いたのは初めてだった。
「い、いってらっしゃいませ……!」
ガルド様に。
「ティアさぁん……ありがとう、ございまぁす……」
ガルド様が——泣きながら頭を下げた。190cmの体が——折れ曲がった。
尻尾がパタパタパタパタ——止まらない。嬉しいのか悲しいのかわからない。両方。全部。
わたしの尻尾は——いつも、わたしより先に正直だ。
---
◆よしこ視点
全員の前に立った。
三人が——席に座っている。証書を膝の上に乗せて。
後ろに——みんながいる。
ヴェルちゃんが通路から戻ってきた。目が少し赤い。ゴミが入ったんやろな。
ドルガが腕を組んで天井を見とる。
メルちゃんがハンカチで目を押さえとる。
ピプがわての足元にしがみついとる。
ティアちゃんが尻尾を全力で振りながら泣いとる。
シオンくんが背筋を伸ばして座っとる。目がまっすぐ前を見とる。
ミーナちゃんが泣きながら笑っとる。本物の笑顔で。
トールくんが目を赤くして、ガルくんの隣で鼻をすすっとる。
カインくんが壁際で直立しとる。唇を噛んどる。
グレイヴスさんが——入口の柱の影で、目を伏せとる。
全員。
わての園児が——全員おる。
深呼吸した。
保育園で40年、何十回も言うてきた言葉。
毎年、卒園式の最後に言うた言葉。
何回言うても慣れへん。何回言うても泣きそうになる。
——今日も、泣きそう。
でも——笑う。
「あんたらはな」
声が震えた。あかん。
「わての——自慢の園児やで」
レオンくんを見た。赤茶色のくせ毛。鮮やかな緑の目。ボロボロで来た子。ごはんを食べて、字を覚えて、自分の名前を好きになった子。
リーゼちゃんを見た。銀色のショートボブ。薄い青の瞳。食べなかった子。スープを作って、「食べて」と言えるようになった子。
ガルくんを見た。190cmの大きな体。泣きながら——パン屋になると言い切った子。
「——えらいな」
涙が出た。もう我慢せぇへん。
「よう頑張ったな」
声が割れた。大阪のおばちゃんの声で。魔王の威厳もへったくれもない声で。
でも——これがわての声や。保育士よしこの声や。
「いってらっしゃい」
笑った。泣きながら。
「いつでも帰っておいで(^^)」
---
食堂が——泣いた。
レオンくんが拳で目を擦った。「うるせぇ……泣いてねぇし……」と言いながら、涙が溢れていた。
リーゼちゃんが前髪の奥で——静かに泣いていた。声は出さない。でも肩が揺れていた。
ガルくんが——もう何も言えずに泣いていた。トールくんが隣で一緒に泣いていた。190cmが二人、並んで泣いている。
シオンくんが——目を閉じていた。頬に光るものがあった。
ミーナちゃんが——泣いて、笑って、また泣いていた。
ヴェルちゃんが——目を閉じて、唇を引き結んでいた。
ドルガが——天井を見上げたまま、微動だにしなかった。でも鼻をすする音が二回、聞こえた。
メルちゃんが——ハンカチを顔に押し当てていた。「泣いておりませんわ」という声が、くぐもって聞こえた。
ピプが——わての足元で大泣きしていた。羽根がぱたぱた震えていた。
ティアちゃんが——尻尾をパタパタさせながら、声を上げて泣いていた。「よしこ様ぁ……」
カインくんが——壁に向かって、肩を震わせていた。
グレイヴスさんが——柱の影で、静かに顔を覆っていた。
泣いてへんのは——わてだけや。
いや、泣いとる。泣いとるけど——笑ってる。
「(^^)」が——消えてへん。
消えへんのよ。今日は。
だって——卒園式は、笑って送り出す日やから。
---
◆よしこ視点
昼。
厨房に——わて一人。
「今日だけは、わてが作るわ(^^)」
ガルくんが「手伝います」と言うたのを、押し返した。トールくんも。ティアちゃんも。
今日だけは——わてが全部作る。最後の、全員そろった食卓。
シチュー。いつものやつ。ニンジン、ジャガイモ、玉ねぎ、鶏肉。大きめに切る。いつも通り。
パン。ガルくんのレシピで焼いた。あの子に教わったレシピ。あの子が焼くほうが美味いけど——今日はわてが焼く。
サラダ。リーゼちゃんが好きな葉っぱを多めに。
鶏の丸焼き。レオンくんが好きなやつ。でっかいの。
焼き菓子。メルちゃん用。
ビスケット。ドルガ用。大量に。
リンゴジュース。ピプ用。こぼしてもいいように予備も作った。
お茶。ヴェルちゃん用。先代の茶器で淹れた。
全員分。14人分。
——多いな。
最初は3人やったのに。レオンくんとリーゼちゃんとガルくんの3人。それがいつの間にか——14人。
テーブルを元に戻した。長テーブル。全員が座れる。
料理を並べた。
皿が14枚。椅子が14脚。
——最初は3人やったのに。
---
全員が——席についた。
わてが上座。ヴェルちゃんが右。メルちゃんが左。
レオンくんとリーゼちゃんとガルくんが一列。
シオンくんとミーナちゃんとトールくんが対面。
ドルガが端。カインくんがその隣。
ティアちゃんがわての後ろに立とうとして——「座り(^^)」。座った。
ピプがわての膝の上。重い。
グレイヴスさんが——一番端の席に、座った。和平の翌日から、この人もごはんを食べに来とる。「食べていいのか」と聞いた人。当たり前や。あんたも、わての園児や。
「いただきます(^^)」
「「「いただきます」」」
14人の声が——食堂に響いた。
シチューをよそった。全員に。ピプの分は少なめ。こぼすから。
パンを配った。ガルくんが「よしこさんが焼いたパンだ……」と言って、また泣きそうになった。
レオンくんが鶏肉にかぶりついた。「……美味ぇ」。相変わらず一言目はそれ。
リーゼちゃんがスープを一口飲んで——「……美味しい」。この子が自分から言うてくれるようになった。それだけで——もう、十分。
ドルガがビスケットを「一枚だけ」と言って取った。三枚目に手が伸びとる。
メルちゃんが焼き菓子を見た瞬間、目が光った。策士の顔が消えた。「あら。これは——」。無防備な顔。180年の策略が、焼き菓子一枚で崩壊する。
ヴェルちゃんがお茶を飲んだ。先代の茶器で。「……美味しゅうございます」。——「美味しい」と言うてくれるようになった。
ティアちゃんがわての隣でスープを飲んどる。尻尾がぱたぱた。嬉しい時の尻尾。
ピプが膝の上でパンをかじっとる。案の定こぼしとる。
シオンくんが「いただきます」と自分から言えるようになった。命令やない。自分の意志で。
ミーナちゃんがシチューを飲んで——笑った。泣いた後の、本物の笑顔で。
トールくんがパンを三つ目に手を伸ばしとる。ガルくんと同じペース。190cmが二人、並んでパンを食べとる。
カインくんがシチューを一口飲んで——「美味い」。短い一言。この人はいつもそう。それでいい。
グレイヴスさんが——スープを飲んで、手が止まった。目を閉じた。「……温かい」。それしか言えない。それでいい。
笑い声。食器の音。「おかわり!」「パン取って!」「ボクのジュースまたこぼれた!」「ピプ殿……」「ヴェルザ怖い顔ー」「……怖い顔ではない」
いつもの——いつもの食堂。
——最後の、全員そろった食卓。
これがいつか終わることを、わては知ってる。レオンくんは旅に出る。シオンくんとミーナちゃんは王都に帰る。ドルガは部下のところに帰る。
全員がこのテーブルに座ることは——もう、ないかもしれへん。
でもな。
ここに座った記憶は——消えへん。
この匂いも。この笑い声も。ビスケットの取り合いも。こぼれたジュースも。「おかわり」の声も。
全部——この子たちの中に残る。
わてにとっての保育園と同じ。卒園した子たちが大人になっても、あの頃のごはんの味を覚えとるように。
この食卓の温かさを——みんなが覚えとってくれたら。
それで——十分や。
「よしこー、おかわりー」
「はいはい(^^) 自分でよそいなさい」
「えー」
「練習や(^^)」
ピプがぶーぶー言いながらおたまを持った。ティアちゃんが手を添えた。
ガルくんがパンを焼き足しに行こうとして、わてが「座っとき(^^)」と言うた。今日はわてが焼く。
レオンくんとドルガが鶏肉の最後の一切れを巡って睨み合っとる。「俺のだ」「俺のだァ」。250歳と17歳が同じことしとる。
——ほら。
こういうのが。
こういう食卓が。
世界で一番あったかい場所やねん。
---
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第83話「卒園式」。この作品で一番泣かせたかった話です。
第6話でレオンは字が読めませんでした。第76話で手紙を書き、第83話で卒園証書を読み上げました。第7話でリーゼは「食べなくても動ける」と言いました。第77話で「食べて」と言い、第83話で「ごはんが美味しかったです」と震える声で言いました。第8話でガルドは「戦えない」と泣きました。第78話でパン屋を宣言し、第83話で号泣しながら「パン屋になります」と言い切りました。
83話分の積み重ねが、この卒園式に集まっています。
よしこは保育園で40年間、毎年卒園式をやってきました。毎年泣きました。でも笑って送り出しました。今日も同じです。魔王城でも、保育園でも、やることは同じ。目の前の子どもたちの成長を見届けて、「えらいな」と言って、「いってらっしゃい」と送り出す。
全員の反応を一人ひとり書きました。端折りたくなかったのです。ヴェルザの「目にゴミ」も、ドルガの鼻をすする音も、メルの「泣いておりません」も、ピプの大泣きも、ティアの尻尾も——全部、83話かけて積み重ねてきたものです。
そして最後の食卓。14人全員が同じテーブルに座る、最後の食事。よしこが全員分作りました。いつものシチュー。いつものパン。いつもの「おかわり」。特別なことは何もない。——それが、特別なのです。
次回、最終話。第84話「魔王よしこ、今日も元気です」。
☆評価・ブクマ・感想をいただけると最終話の励みになります!