王の返事
2026年2月22日
2026年2月22日
◆カイン視点
城門が見えた。
グランが第三師団に発った翌日に王都を出て——黒い石造りの城。荒野を越え、森を抜け、十日の行程を走り続けた足が——止まった。
煙突から白い煙が上がっている。
——前に来た時は、煙など出ていなかった。
城は静かで、暗くて、魔王の城らしかった。今は——煙が出ている。洗濯物が干してある。中庭に何か、土が盛られている場所がある。花壇だろうか。
胸の内で——何かが軋んだ。
懐の返書が、重い。
歩き出した。城門に向かって。
門番の魔族が——こちらに気づいた。
「——あ、カイン殿だ!」
「カイン殿が戻ってきた!」
駆け出す必要はなかった。門番が先に走った。城の中に。伝えに行ったのだろう。
——前回は槍を突きつけられたのに。
城門をくぐった。
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◆よしこ視点
「カインくんが帰ってきたん?(^^)」
ティアちゃんが食堂に飛び込んできた。息が上がっている。尻尾がぱたぱた揺れている。——嬉しい時のティアちゃんの尻尾。
「は、はい! 門番が……! カイン殿が城門を——」
(あの子、帰ってきたんか)
ほっとした。
招待状を持たせて送り出してから——何日やったかな。国王に渡してくれたやろか。返事は——来たやろか。
考えるより先に、体が動いた。
厨房に入った。鍋を出した。
「よしこ様……? あの、まだカイン殿は——」
「ティアちゃん、野菜出して(^^) ニンジンとジャガイモと玉ねぎ」
「は、はい!」
鍋に水を入れた。かまどに火を入れた。
ニンジンの皮を剥いた。ジャガイモを切った。玉ねぎを薄く刻んだ。
干し肉を棚から出した。塩。胡椒。月桂樹の葉。
——シチューや。
前にカインくんに出したやつと同じ。あの子が初めてこの城でごはんを食べた日の。
「ティアちゃん、パンある?」
「ガルド様が朝焼いたのが残って——」
「温め直して(^^) あの子、長旅でお腹すいてるやろ」
鍋が温まってきた。野菜を入れた。干し肉を入れた。
ぐつぐつ。ことこと。
——帰ってきたなら、まず、ごはん。
返事は、食べてからでええ。
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◆カイン視点
テーブルの上に——シチューが湯気を立てていた。大きな皿。パンが添えてある。
「おかえり(^^)」
魔王——いや。この人は。
よしこが——台所から出てきた。エプロンをしている。手を布で拭きながら。笑っている。
深紅の目が細くなっている。角がある。長い黒髪の先が紫に染まっている。
——魔王の姿だ。圧倒的な魔力を持つ、この世界の頂点。
その人が、エプロンをして、シチューを出している。
「前と同じやつやで(^^) 味、覚えてる?」
——覚えている。
初めてこの城に来た日。任務として。勇者パーティの安否確認。武装した部下を率いて、最悪の事態を覚悟して。
到着して見たのは——魔王と勇者が一緒に朝食を食べている光景だった。
あの日もシチューだった。野菜と干し肉。塩と胡椒。月桂樹の葉。何の変哲もないシチュー。
だが——温かかった。この城の全てが。
「……ありがとうございます」
座った。
スプーンを手に取った。シチューを掬った。口に入れた。
——同じ味だ。
何も変わっていない。あの日と同じ味。
「足りひんかったら言うてな(^^) おかわりあるで」
返事の前に、もう一口食べた。
胃が温まった。十日間の行軍で——まともな食事は、ほとんどなかった。街道の宿場で干し肉を齧った程度だ。
このシチューが——体に染みた。
食べ終わった。
パンの最後のかけらで、皿の底を拭った。無意識にやっていた。——軍人の癖ではない。前にこの食堂で食べた時、ガルド殿がそうしていたのを見たから。
「ごちそうさまでした」
「(^^)」
よしこが——空の皿を見て、笑った。満足そうに。
子どもを見守る者の笑顔だ。残さず食べた子を見つけた時の。——あの報告書に書けなかった笑顔。
——もう、引き延ばせない。
「……報告があります」
懐から——封書を取り出した。
蝋印。王家の紋章。厚い羊皮紙。国王陛下の返書。
「招待状に対する——国王陛下のご返答です」
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ヴェルザが来た。
よしこの隣に立った。銀白色の髪。金色の目。背筋が伸びた軍人の佇まい。
レオン殿が食堂の入口に立っていた。壁にもたれている。——だが、目はこちらを見ている。
ミーナ殿が——廊下の奥に見えた。心配そうにこちらを覗いている。
シオン殿が、その横に立っていた。以前よりも——どこか表情が柔らかくなった気がする。
食堂に、人が集まり始めている。
ガルド殿がティアの後ろにいる。ピプが空中に浮かんでいる。
——前に来た時より、この城の住人が増えている。
返書を開いた。
読み上げた。
「——『魔王ヴォルグラーナへ。貴殿の招待、拝読いたした。魔王の城を訪問し、食卓を共にしたいと考える。日取りは追って使者に託す。——ルミエール国王リヒト三世』」
食堂が——静まった。
よしこが——目を瞬いた。
「……来てくれるん?(^^)」
——この人は。
国王の返書を受け取って、最初の反応が「来てくれるん?」だ。和平の第一歩とか、外交上の成果とか——そういう分析が一切ない。ただ「来てくれる」が嬉しい。
食事に誘った相手が、来ると言ってくれた。——それだけのことのように。
「ほな、もう一人分用意せんとな(^^)」
ヴェルザが——わずかに目を閉じた。
「……魔王様。これは和平への大きな一歩でございます」
「そうなん?(^^) 国王さんが来てくれるんやろ? ごはん何作ったらええかな」
「……恐れながら。ごはんの前に、準備すべきことが——」
「ごはんが一番大事やで(^^)」
ヴェルザが——黙った。反論を飲み込んだようだった。
300年仕えた四天王筆頭が、この人の前では、いつもこうだ。
レオン殿が——壁から背中を離した。
「……国王が来るのか。マジで」
「マジやで(^^)」
「……すげぇな」
レオン殿の声は——小さかった。
すごい、と。——この少年が、その言葉を口にするのは珍しい。
ガルド殿が——両手を握りしめた。
「じゃ、じゃあ、国王様にもパンを……!」
「焼いたり(^^) ガルくんのパン、きっと喜んでくれるわ」
「え、えへへ……」
ピプが宙を回った。
「お客さんだー! お客さん来るの!?」
「来るで(^^)」
「やったー! ボク、結界張る! すっごいの!」
「結界よりごはんの準備やな(^^)」
ミーナ殿が——小さく笑った。
口元が上がっている。前に来た時は——あの微笑みは「正しい表情」だった。教会で教わった。今は——違う。今のは、本当の笑みだった。
私にはわかる。あの子たちの変化が。この城が変えたものが。
——だが。
「……もう一つ、報告があります」
食堂の空気が——変わった。
私の声が——硬くなったことに、全員が気づいた。軍人の声。報告の声。
「国王陛下と共に——グレイヴス大司教が、同行を申し出ました」
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◆よしこ視点
カインくんの表情が——晴れへん。
さっきからずっとや。返書を読み上げた時も、国王が来ると伝えた時も。嬉しいはずの話をしている時も——目が曇っている。
あの子の目は灰青色で、いつも周りを警戒している軍人の目。でも今は——警戒やない。心配や。
「……グレイヴス大司教は——和平を阻止するために来ます。おそらく」
カインくんの声が——低かった。
「国王陛下は和平に前向きです。しかし大司教は——聖教会は——魔王の存在を認めません。魔王は討伐すべき敵であり、食卓を共にする相手ではないと」
ヴェルちゃんが——腕を組んだ。金色の目が細くなった。
「……予想はしておりました」
「ヴェルザ殿。大司教の政治力は——甘く見るべきではありません。王国の実質的な支配者です。国王の判断を覆す力を持っている」
カインくんの声が——硬い。
あの子は、ちゃんと見てきたんやな。王都の空気を。教会の圧力を。国王と大司教の力関係を。そして——この城の温かさを壊そうとする力が、どれだけ強いかを。
「……カイン殿」
ヴェルちゃんが——一歩前に出た。
「大司教が何を企んでいようと——覚悟の上です」
その声は——300年の重みがあった。
四天王筆頭。先代魔王に仕え、この城を守り続けた魔族。この城の誰よりも長く、誰よりも多くのものを見てきた人。
「この城は、魔王様がお作りになった場所です。誰が来ようと——揺るぎません」
カインくんが——ヴェルちゃんを見た。軍人同士の目。言葉ではない何かが通じている。
レオンくんが——口を開いた。
「……大司教か」
声が低い。
この子は——聖教会を知っている。勇者として送り出された側の人間。使い捨てにされた側。シオンくんもミーナちゃんもトールくんも——教会に育てられ、教会に使われた子どもたちや。
「来るなら来ればいい。——俺たちは、ここにいる」
シオンくんが——レオンくんを見た。灰色の目が——少しだけ揺れた。
「……俺も——そう思います」
——「俺」って言った。
シオンくん、前は「自分」やったのに。いつの間に——変わったんやな。
ええ顔しとる。
ミーナちゃんが——一歩、前に出た。
「わたしも……ここにいます」
声が——震えていない。
前は震えていた。教会の話をする時、いつも声が震えていた。今は——まっすぐや。
(みんな、変わったなぁ)
おっきくなった。この城に来た時のあの子たちとは——全然違う。
「カインくん」
声をかけた。
「大司教さんが来るんやろ?」
「……はい」
「阻止しに来るんやろ?」
「……おそらく」
カインくんの表情が——辛そうやった。
この子は——板挟みなんや。国王の命令と、教会の力と、この城の温かさの間で。真実を見たのに、真実を通せない世界で。
——せやけど。
「阻止しに来ても、ごはんは出すで(^^)」
カインくんが——目を見開いた。
「お客さんはお客さんやからな(^^) ごはん食べてもらう。それだけや」
ヴェルちゃんが——息を吐いた。小さく。呆れたような、納得したような。
レオンくんが——鼻で笑った。「こいつマジかよ」の顔。でも目が笑っている。
ガルくんが——両手を握りしめた。「じゃ、じゃあ大司教様にもパンを……!」。うん、焼いたり(^^)。
ピプちゃんが——宙でくるくる回っている。「もう一人分! もう一人分!」。元気やなぁ。
ミーナちゃんが——笑った。今度は声を出して。小さいけど——笑い声。
ティアちゃんの尻尾が——ぱたぱた揺れている。
「カインくん」
「……はい」
「あんたもな——おかえり(^^)」
カインくんの口が——開いて、閉じた。
何か言おうとして、やめた。
それから——ゆっくりと。
「……ただいま、戻りました」
——軍人の報告やない。
帰ってきた子の言葉や。
---
◆ヴェルザ視点
食堂から全員が散った後——私は魔王様と二人、中庭に立っていた。
夕暮れの光が城壁に当たっている。空気が冷たい。春の手前。吐く息が白い。
中庭の花壇。土が盛られている。よしこ様が先代の遺書を読んで作ったもの。種はまだ芽を出していない。
だが——土の色が少し変わっている。水を吸って、少しだけ柔らかくなっている。
「……ヴェルちゃん」
「はい、魔王様」
「大司教さん——怖い人なん?」
問いかけが——まっすぐだった。
この方はいつもそうだ。政治的な計算ではなく、ただ「怖い人なのか」と聞く。
「……怖い方です。聖教会の頂点に立つ者です。政治力、魔法力、そして——信念の強さ。揺るぎません」
「ふうん……」
よしこ様が——花壇の前にしゃがんだ。指先で土に触れた。冷たい土。
「でもな、ヴェルちゃん」
「はい」
「カインくんが言うとったやろ。あの人も——孤児院出身やったって。前に聞いた話やけど」
——覚えている。カインの報告で知った。グレイヴス大司教は孤児院の出身。勇者候補だった。選ばれなかった。教会の道を進んだ。子どもを送り出す側になった。
58年間——一人も帰ってこなかった勇者を送り出し続けた大人。
「あの人も——ごはん、ちゃんと食べてへんのやろな」
——。
魔王様の目が——花壇の土を見ている。深紅の瞳。角が夕日に照らされている。
魔王の姿。だが——目だけが、子どもたちに向き合うときの優しい目をしている。
「国王さんの分と、大司教さんの分と——ほかにも誰か来るんかな。カインくんの部下もおるやろし。全員分作らなあかんな(^^)」
「……魔王様。大司教は和平の敵です」
「それはそうかもしれんな(^^)」
「食卓を共にすることが——危険を招く可能性も」
「かもしれへんな(^^)」
「……恐れながら。もう少し、警戒をしていただけると——」
「ヴェルちゃん」
よしこ様が——立ち上がった。花壇の土を払った。
「先代の魔王さん、花を植えたかったんやて」
「……はい」
「300年も一人で、この城におったんやて」
「……はい」
「誰もごはんに呼んでもらえへんかったんやろ。来客もなかったんやろ」
「……仰る通りです」
「ほな——来てくれるんは、嬉しいことやん(^^)」
花壇を見ていた。
先代の願い。花を植えたかった。300年前、この中庭には何もなかった。石と土と——孤独だけがあった。
「敵やろうが味方やろうが、来てくれたらごはん出す。座ってもらう。食べてもらう。——それだけ(^^)」
——それだけ。
この方はいつもそうだ。
勇者が来た時もそうだった。カインが来た時もそうだった。シオンたちが来た時も、グランが来た時も。全員に同じことをした。
「先代も——そうしたかったんちゃうかな」
花壇の土が——夕日に照らされている。まだ芽は出ていない。でも、土は水を吸っている。
「……先代は——」
言葉が出なかった。
先代魔王ナハトレーゲン。私が300年仕えた主。孤独の中で死んだ魔王。花を植えたいと遺書に書いた魔王。
——先代がこの方だったら。
いや。先代は先代だ。よしこ様はよしこ様だ。
だが——先代が望んだものは、今、ここにある。
花壇がある。煙突から煙が出ている。食堂に笑い声がある。子どもたちがいる。
「……覚悟の上です」
もう一度、言った。
カインに言った時と同じ言葉。だが意味が——少し違う。
あの時は、大司教の脅威に対する覚悟だった。今は——この場所を守る覚悟だ。
「大司教が何を企んでいようと——この食卓を、揺るがせはいたしません」
よしこ様が——笑った。
「頼りにしてるわ(^^)」
いつもの笑顔。
魔王の姿なのに——完全に、おばちゃんの笑顔。
「ほな、明日からメニュー考えよか(^^) 国王さんには何出したらええんやろ。ヴェルちゃん、王様って何食べるん?」
「……私が知る限り、王族の食事は——」
「あ、でも特別なもんは要らんな。いつもの(^^) この城のいつものごはんで」
「……かしこまりました」
中庭を横切る時——窓の明かりが見えた。食堂。ガルドとトールが片付けをしている。ティアが皿を運んでいる。
廊下の窓から——レオンの声が聞こえた。「おい、シオン。明日の素振り、付き合え」。シオンの返事。「……了解です」。——いつもの二人。
ピプが中庭を飛んでいる。「ヴェルザー、明日おやつ多めにしてー! お客さん来るんでしょー!」
ミーナが——廊下の隅で、窓の外を見ている。花壇を見ている。穏やかな顔。
——全員がここにいる。
名前で呼ばれ、居場所を見つけ、自分の足で立ち始めた子どもたち。
名前のなかった侍女。自分を持てなかった勇者。泣けなかった少女。帰る場所が二つになった四天王。
そして——来る。
国王が来る。大司教が来る。
和平の希望と、破壊の脅威が、同時に。
だが——この城には、シチューがある。
ガルドのパンがある。ティアのお茶がある。よしこ様の「おかえり」がある。
先代が植えたかった花の種が——土の中で、芽吹きの時を待っている。
「ピプ、飛びすぎやで(^^) もう暗いから中入り」
「えー! もうちょっとー!」
「あかん(^^) 風邪引くで」
「ボク魔族だから風邪引かないもん!」
「引くの(^^) はい、中入って」
「……はーい」
ピプが——渋々降りてきた。よしこ様が小さな頭を撫でた。
私は——歩き出した。城の中へ。
やるべきことは多い。客人を迎える準備。大司教への対策。和平の段取り。
だが——まず。
「ガルド。明日のパンは多めに仕込んでおけ」
「は、はい! 何人分ですか?」
「……多めにだ」
フン、と。
ガルドが困惑しながら「え、えっと、十個? 二十個?」と呟いている。
——数えるな。焼けるだけ焼け。
来るのだ。国王が。大司教が。騎士たちが。
この城に——初めて、正式な客人が来る。
先代が300年、一度も迎えられなかった客人が。
中庭を振り返った。
花壇の上に——星が出始めていた。
芽はまだ出ていない。だが——もうすぐだ。
もうすぐ——芽が出る。
---
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第74話「王の返事」。Arc7「みんなの名前」の最終話です。
カインの「帰還」を、あえて「おかえり」として書きました。前回、グランの見送りを「帰る場所」として描いた直後に、カインが帰ってくる。彼は任務で来たのに、よしこに「おかえり」と言われ、シチューを出される。前と同じシチュー。前と同じ味。——そしてカインは「ただいま、戻りました」と返した。「帰投しました」でも「到着しました」でもなく。この人は、軍人の報告ではなく、帰ってきた子の言葉を選んだのだと思います。
シチューが「前と同じやつ」であることが、よしこの本質です。特別なものは出さない。誰にでも同じものを出す。国王が来ても大司教が来ても、たぶん同じシチューを出します。それがこの城の「強さ」です。
グレイヴス大司教の同行——これはArc7を通して張ってきた伏線の回収です。EP071で招待状を引き出しにしまって鍵をかけて、翌朝また開けて読んでいた大司教。あの人が来る。和平を阻止するために。でもよしこは「阻止しに来ても、ごはんは出すで」と笑いました。敵も味方も、来てくれたらごはんを出す。——先代が300年やりたかったことを、よしこは当たり前のようにやっている。
次回から最終章・Arc8「世界で一番あったかい場所」が始まります。国王とグレイヴス大司教が魔王城にやってくる。よしこの食卓に、全員が座る日が——もうすぐです。
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