レオンの手紙
2026年2月22日
2026年2月22日
◆レオン視点
深夜。
城が静まってから、食堂に来た。
誰もいない。蝋燭を一本持ってきた。テーブルの上に置く。小さな火が揺れている。
紙と、インクと、ペン。
ヴェルザの部屋から借りてきた——いや、盗んできた。明日返す。たぶん。
テーブルに座った。
紙を広げた。白い紙。しわひとつない。
ペンを取った。
インク壺の蓋を開けた。
——書くか。
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◆レオン視点
何を書くのか。
わかってない。
手紙を書こうと思った。それだけだ。誰に? 知らねぇよ。
ペン先をインクに浸した。紙の上に持っていった。
止まった。
一文字も出てこない。
……なんだよ。手紙って、何を書くんだ。
書いたことがねぇ。受け取ったこともねぇ。グランが来た時、ドルガが手紙を書いていたのは見た。あいつは「部下への手紙だ」と言っていた。何を書いたかは知らない。
俺には部下もいない。上官もいない。送る相手が——
ペン先が紙に触れた。
インクの点が落ちた。小さな黒い点。
そこから——勝手に、手が動いた。
---
よしこへ。
——あ。
書いてしまった。
消せない。インクだ。消えない。
ペン先が止まった。「よしこへ」の四文字が紙の上にある。字が——でかい。バランスが悪い。「よ」が左に寄って、「し」が右に傾いて、「こ」が潰れている。「へ」だけなぜかまともだ。
——ま、いいか。
誰に見せるわけでもない。
もう一行。
「おれは じが よめなかった」
……ひらがなだ。漢字が書けない。いや、いくつかは書ける。でも手紙に使う漢字がわからない。よしこに教わったのは「水」「火」「風」「土」「木」「山」「川」「森」「道」「星」——自然の字ばっかりだ。手紙には使えねぇ。
ひらがなでいい。読めればいい。
「おまえに おしえてもらった」
ペン先が震えた。
インクが跳ねた。紙に小さな点が散った。
——くそ。汚い。
でも——止まらない。
◆ドルガ視点
食堂に明かりが見えた。
深夜の巡回のついでだ。食堂は消灯しているはずだが——蝋燭の光が、扉の隙間から漏れている。
扉を開けた。
「——ッ」
レオンが飛び上がった。
テーブルの上に——紙がある。インク壺がある。ペンがある。
小僧が手紙を書いている。
「……何してんだ、小僧」
「なっ——何でもねぇ! 見んな!」
レオンが紙を裏返した。慌ててインク壺の蓋を閉めた。——閉め損ねて、指にインクがべったりついた。
「……フン」
テーブルの向かい側に座った。
「お、おい、何座ってんだよ」
「座りたいから座ったんだ」
「ここ俺が先に——」
「食堂は共有だ。文句あるか」
レオンが黙った。
俺も黙った。
蝋燭の火が揺れている。小さな光。二人分の影がテーブルに伸びている。
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◆レオン視点
ドルガが——棚の方に立った。
何か探している。
ごそごそと音がして、戻ってきた。
手に——紙とペンを持っている。
「……お前も書くのかよ」
「うるさい」
ドルガがインク壺を引き寄せた。——俺のインク壺を。
「おい、それ俺の——」
「ヴェルザから盗んだやつだろう。共有だ」
「……」
反論できなかった。
ドルガが紙を広げた。ペンを取った。
書き始めた。
——のぞき見するつもりはなかったが、見えた。
字が——でかい。俺と同じくらいでかい。バランスが悪い。「ぐ」と「ら」が繋がっている。
第三師団の部下に書いてるのか。
「……見るな、小僧」
「見てねぇよ」
見てた。
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◆ドルガ視点
書いている。
グランへの手紙ではない。今回は——部下全員に向けた手紙だ。
前にグランに持たせた手紙は短かった。「元気だ。飯が美味い。待っていろ」——それだけだった。
今回は、もう少し書きたい。
「パンがうまい」
「でかぶつの焼いたパンだ」
「次に帰る時、持っていく」
字が下手だ。250年生きてきて、字を覚えたのはこの城に来てからだ。小僧と一緒に。よしこの部屋で。蜂蜜パンを食いながら。
ペン先が引っかかった。紙が破れそうになった。力を入れすぎた。
「……」
隣のテーブルで、小僧が書いている。
同じように——字がでかくて、バランスが悪い。
二人とも、字を覚えたのは同じ時期だ。同じ先生から。同じ部屋で。
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◆レオン視点
腹が鳴った。
「……」
聞こえたか。聞こえただろう。食堂の真ん中で腹が鳴った。
「……小僧」
「うるせぇ、聞くな」
「俺も減った」
ドルガが立ち上がった。
厨房の方に行った。がさがさと音がする。
戻ってきた。
盆の上に——パンが四つ。鍋が一つ。
「ガルドが残しておいたパンだ。スープもある」
「……冷めてんだろ」
「温め直した。文句あるか」
「……ねぇよ」
テーブルの上に、パンとスープが並んだ。手紙と並んで。インク壺の隣にパン皿。ペンの横にスプーン。
スープを一口。
——温かい。根菜とハーブ。ガルドの味だ。昼間に余った分を鍋に残しておいてくれたんだろう。
パンを齧った。
硬い。保存用のやつだ。でもスープに浸すと柔らかくなる。
「書きながら食うな。インクが飛ぶ」
ドルガが言った。
見たら——ドルガが片手にパン、片手にペンを持っている。
「お前もだろ」
「俺はいいんだ」
「何がだよ」
「四天王だからだ」
「関係ねぇだろ」
パンの欠片がドルガの手紙の上に落ちた。ドルガが舌打ちして払った。
——くだらねぇ。
笑いそうになった。
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◆ドルガ視点
食いながら書いている。
二人とも。
行儀が悪い。ヴェルザが見たら「食堂の品位が」とか言うだろう。ティアが見たら「あの、お片付けは……」と困るだろう。よしこが見たら——
「……(^^)って顔するだろうな」
「あ?」
「独り言だ」
パンを齧った。スープを飲んだ。ペンを取った。
「花壇の花はまだ咲いていない。だがもうすぐだ」
書き終わった。短い手紙だ。部下たちは長い文を読まない。短くていい。俺の字で。俺の言葉で。
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◆レオン視点
手紙の続きを書く。
スープで温まった手が、さっきより動く。
「おれは なまえが なかった」
——名前はあった。レオンという名前は、たぶん孤児院でつけられた。
でも——名前がなかった。
呼んでくれる人がいなかった。孤児院の番号。ストリートのあだ名。教会の「勇者」。全部——俺じゃない。
「おまえが よんでくれた」
よしこが——最初に「レオンくん」と呼んだ。
魔王なのに。敵なのに。勇者だの何だの関係なく、「レオンくん」と。
あの時——なんか、変な気持ちになった。
自分の名前を初めて「名前」として聞いた気がした。
「レオンくん、おはよう(^^)」「レオンくん、ごはん食べた?(^^)」「レオンくん、えらいなぁ(^^)」
——あの人の声で、俺の名前が鳴る。
ペン先が紙の上を走った。
「ありがとう」
書いた。
一文字ずつ。ゆっくり。よしこに教わった書き方で。ペンを立てすぎない。力を入れすぎない。「丁寧に、ゆっくり(^^)」——あの声が聞こえる。
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「おれは もう だいじょうぶだ」
書き終わった。
ペンを置いた。
手紙を見た。
——汚い。
字がでかい。バランスが悪い。インクの点が散っている。パンのかけらが端っこについている。「ありがとう」の「あ」が潰れて「お」に見える。
でも——読める。全部読める。
俺が書いた字だ。
「……できた」
小さく言った。
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◆ドルガ視点
小僧が——手紙を見ている。
じっと。紙の上を。
目が——赤い。泣いてはいない。たぶん。
「……書けたか」
「……ああ」
レオンが手紙を裏返した。俺に見せない。
「誰に書いたんだ」
「……うるせぇ」
「フン」
だいたいわかる。
俺も——最初の手紙は、誰に書いているかわからなかった。ペンを取って、紙を広げて、書き始めて——気づいた。グランに書いていた。待っている奴に。
小僧は——よしこに書いたのだろう。
あの人間は、字を教わった相手に、字で礼を言うんだろう。
「……俺のほうが上手いな」
「はぁ?」
「字だ。俺のほうが上手い」
レオンが手紙を裏返して見せた。自分の手紙と見比べるように。
「……どこがだよ。お前の「ぐ」、「く」に見えるぞ」
「お前の字は全部潰れてるだろうが」
「潰れてねぇよ!」
「潰れている」
「——見せろ、お前の」
「見せるか。部下への手紙だ」
二人で手紙を隠しながら、相手の字をけなし合った。
——くだらない。
250年と17年。魔族と人間。四天王と勇者。
深夜の食堂で、パンのかけらを散らしながら、字の上手さを競っている。
くだらない。
だが——悪くない。
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◆レオン視点
スープが冷めた。
パンがなくなった。
蝋燭が半分になった。
ドルガが自分の手紙を折り畳んだ。雑に。角が合っていない。
「……お前、いつ出すんだ。その手紙」
「次にグランが来た時だ。——お前は?」
俺は——
「……出さねぇよ」
「は?」
「出さない。これは——出す手紙じゃない」
ドルガが黙った。
「……書きたかっただけだ」
——そうだ。
出さなくていい。よしこに渡す必要はない。
字が読めなかった俺が、字を書けるようになった。手紙を書けるようになった。「ありがとう」って書けるようになった。
それだけでいい。
手紙を折った。丁寧に。角を合わせて。——ドルガよりきれいに折った。
「俺のほうがきれいに折れてんな」
「……フン。折り方で勝ったからって——」
「勝ちは勝ちだ」
「うるせぇよ」
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◆ドルガ視点
皿を片付けた。
スープの鍋を厨房に戻した。パンくずをテーブルから払った。インク壺の蓋を閉めた。——ヴェルザの部屋に返しておく。
食堂を出た。
廊下は暗い。蝋燭の火が揺れている。
レオンが隣を歩いている。手に折り畳んだ手紙を持っている。
「……小僧」
「何だよ」
「字は——まだ下手だ」
「知ってるよ」
「だが——読めた」
レオンが足を止めた。
「……読んだのかよ」
「チラッとだ」
「おい——」
「——悪くない手紙だ」
それだけ言って、自分の部屋に向かって歩いた。
背後で——レオンが何か言った。小さい声で。聞こえなかった。聞こえなくていい。
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◆レオン視点
部屋に戻った。
ベッドの横の棚に——古い紙がある。
一枚目の練習用紙。よしこに教わった日の。水、火、風、土、木。山、川、森、道、星。
その隣に——今日の手紙を置いた。
並べた。
最初の紙。下手な字。一文字ずつ。
今日の手紙。まだ下手な字。でも——文になっている。
「よしこへ」で始まって、「おれは もう だいじょうぶだ」で終わる手紙。
字を教わった日から、ここまで来た。
水と火と風しか書けなかった俺が、「ありがとう」って書いた。
「…………」
——出さない。
この手紙は出さない。
よしこには言葉で言う。いつか。ちゃんと。面と向かって。
手紙は——俺のものだ。
俺が字を覚えた証拠。俺がここにいた証拠。
蝋燭を消した。
暗闇の中で、ベッドに横になった。
明日は——もう少し、きれいに書けるようになりたい。
卒園証書ってやつを、よしこが作るって言ってた。
読み上げるのは、俺たちだって。
——読めるだろ。俺の字で書けるだろ。
あんたが教えてくれたんだから。
---
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第76話「レオンの手紙」。第6話で字を教わり始めたレオンが、手紙を書きます。
誰に書くかは自分でもわかっていなかった。ペンを持って、紙を広げて、書き始めて気づく。「よしこへ」。字が読めなかったあの少年が、手紙を書けるようになった。それだけで、70話分の成長がここにあります。
ドルガとの並列が、この話のもう一つの軸です。250歳の四天王と17歳の勇者。どちらも字が読めなかった。どちらもよしこに教わった。どちらも深夜にこっそり手紙を書いている。パンを食べながら。インクを飛ばしながら。字の上手さを競いながら。二人の「似た者同士」が、同じテーブルで同じことをしている風景を描きたかった。
レオンは手紙を出しません。よしこに渡す必要はない。「書けた」ことが全てです。字を覚えた証拠。ここにいた証拠。「ありがとう」を書けるようになったこと自体が、よしこへの最大の感謝です。そして最後に、レオンは卒園証書を読み上げる未来を見ています。第83話への伏線です。
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