和平の食卓
2026年2月22日
2026年2月22日
◆カイン視点
三度目の門だった。
黒い石造り。威圧的な外観。煙突から白い煙。中庭に赤と白と青の花。
一度目は騎士団の副長として。二度目は和平の使者として。そして今日——
隣に、国王がいる。
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◆カイン視点
リヒト三世。齢五十二。
先王が築いた王朝を受け継ぎ、二十年。穏健派と呼ばれるが、決して弱い王ではない。聖教会の圧力にも、貴族の横槍にも——静かに、しかし確実に抗ってきた人だ。
今日はその国王が、銀甲冑を脱いでいる。
平服。深い青の外套。護衛は私一人。随行の大臣も、書記官もいない。
「カイン」
「はい、陛下」
「——この城は、思ったより花が多いな」
花壇を見ている。赤と白と青。風に揺れている。
国王の横顔は——硬い。だが、花を見る目だけが少しだけ和らいでいた。
門が——開いた。
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◆カイン視点
ティアが門を開けた。三つ編みの緑髪。琥珀色の目。小さな角が前髪に隠れている。
魔族だ。国王は——微動だにしなかった。さすがだと思った。
「い、いらっしゃいませ……!」
ティアの尻尾がぴーんと立っている。緊張で。だが声は——出ている。自分から「いらっしゃいませ」と言えている。
門の奥に——
「よう来てくれたなぁ(^^)」
いた。
黒と紫のローブ。深紅の瞳。小さな角が二本。長身の、威圧的な美女——魔王ヴォルグラーナ。
が、笑っている。完全におばちゃんの笑顔で。
国王が——足を止めた。
「あなたが……魔王か」
「せやで(^^) 遠いところ、よう来てくれた。——ごはんあるで」
国王の眉が——わずかに動いた。何を言われたのか、理解するのに一瞬かかったようだった。
私は知っている。この人は——いつもこうだ。
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◆よしこ視点
国王さん、来てくれた。
カインくんの隣に立っとる。青い外套。白髪混じりの灰色の髪。五十二歳やって。わてより十歳若い——いや、こっちの体ではもう何歳かわからんけど。
目が——鋭い。王様の目やな。人を見る目。判断する目。
でもな。
わても40年、子どもを見てきた目がある。
——この人、緊張しとる。
鋭い目の奥が、ほんの少しだけ揺れとる。当たり前や。魔王の城に、護衛一人で来たんやから。
「まぁ立ち話もなんやし、入り(^^) お茶淹れるわ」
「……失礼する」
国王さんが——一歩、踏み出した。
魔王城に。人間の王が。自分の足で。
——えらいな。勇気あるわ、この人。
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◆カイン視点
食堂に着いた。
長テーブルに——全員が座っている。
ヴェルザが上座の右に立ち、国王を迎えた。金色の目。銀白色のオールバック。軍人の礼。
メルが左側に立っている。紫のローブ。手には——外交文書の束。和平条約の草案。交渉の段取り書。全て整えてある。
「国王陛下。わたくしが本日の会談の——」
「まず食べ(^^)」
よしこが——メルの外交文書を完全に無視した。
メルが固まった。紫の目が丸くなっている。
ヴェルザの額にうっすら青筋が浮いた。
「魔王様……外交の手順が……」
「ヴェルちゃん、この人お腹空いとるで(^^) 十日も旅してきたんやから。まずごはんや」
「……かしこまりました」
ヴェルザが——諦めた。300年の忠臣が、0.5秒で諦めた。慣れている。
メルが外交文書を——テーブルの端に置いた。悔しそうだったが、反論はしなかった。
この人が「まず食べ」と言ったら、それが外交になる。——私は、この一年でそれを学んだ。
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◆よしこ視点
席を決めた。
国王さんの席は——わての隣。右隣。ヴェルちゃんのいつもの席はわての左にずらした。
ヴェルちゃんが「恐れながら、席順は慣例に従い——」と言いかけたけど、「ええやん、隣のほうが話しやすいし(^^)」で押し切った。
国王さんが——席についた。
硬い表情。背筋がまっすぐ。膝の上で手を組んでいる。緊張しとる。
テーブルを見回した。
レオンくんがいる。ガルくんがいる。リーゼちゃんがいる。
シオンくん、ミーナちゃん、トールくん。
ドルガ。メルちゃん。ピプ。ティアちゃん。
カインくん。
ヴェルちゃん。
そして——国王さん。
14人。人間と魔族が、同じテーブルについとる。
「ほな——いただきます(^^)」
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◆カイン視点
シチューが出てきた。
三度目だ。
一度目は調査隊として。部下と一緒に、混乱の中で食べた。「なぜ魔王が勇者にシチューを」と困惑しながら。
二度目は使者として。密書を携えて来た時。「また、このシチューですか」と言った。
そして三度目——国王と共に。
スプーンを手に取った。
シチューをすくった。ニンジンが大きい。前と同じだ。この人は、いつもニンジンを大きく切る。
「——いただきます」
自然に出た。
一度目は言えなかった。二度目は意識して言った。三度目は——何も考えずに出た。
隣で、国王が——スプーンを手に取った。
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◆よしこ視点
国王さんがスプーンを持った。
シチューを見ている。湯気が立ってる。ニンジンとジャガイモと玉ねぎと鶏肉。いつもの。特別なもんやない。みんなに出すのと同じやつ。
一口——すくった。
口に運んだ。
「…………」
噛んでいる。ゆっくり。
もう一口。パンをちぎって、シチューに浸した。食べた。
——あ。
表情が変わった。
硬い、王様の顔が——ほんの少しだけ、緩んだ。眉間の皺が一本減った。口元がほんの少し——下がった。力が抜けた、ということ。
わかる。40年見てきたもん。
緊張した子が、ごはん食べて、力が抜ける瞬間。あの顔と——同じや。
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◆カイン視点
食卓が——騒がしい。
「パンもう一個!」
「ガルド、焼き足していい?」
「焼け焼け」
「ボクのリンゴジュースまたこぼれた!」
「ピプ様、お手拭きを——」
「レオン、肘つくな」
「うるせぇドルガ、お前もだろ」
国王が——シチューを食べながら、食堂を見回している。
ガルドがパンを焼いている。トールが手伝っている。ティアが皿を配っている。ピプがよしこの膝に乗ろうとしてヴェルザに引き剥がされている。リーゼが黙々とスープを二杯目に入っている。シオンが静かに食べている。ミーナが隣で笑っている。
レオンとドルガが箸の持ち方で揉めている。——箸はないが。
メルが国王の隣に来た。
「陛下。お料理はいかがですか。——ところで、和平の条項について……」
「メルちゃん、まだ食べとる最中やで(^^)」
「……魔王様。外交の機会を……」
「食後のお茶の時間にしよ(^^)」
メルが——口を閉じた。
策士が。180年の策士が。外交文書の束を抱えたまま、席に戻った。
国王の口元が——かすかに動いた。笑ったのだ。ほんの少し。
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◆ヴェルザ視点
国王が——シチューを食べ終えた。
パンもなくなっていた。スプーンが皿に置かれた。
静かな動作。品がある。だが——最後の一口まで残さなかった。残さず食べた。
「……美味かった」
短い言葉。だが——その一言に、嘘はなかった。
私は300年、この城にいる。
この食卓に、人間の王が座る日が来るとは思わなかった。先代は——こういう日を望んでいたのだろうか。「花を植えたかった」と言った先代は。「ほしい」と言えなかった先代は。
花は咲いた。そして今——人間の王が、魔王の城で食事をしている。
魔王様が——茶を淹れ始めた。
「お茶の時間やで(^^) メルちゃん、書類あるんやろ? 今ならええよ」
メルが——目を輝かせた。ようやく出番が来た。外交文書の束を広げた。
だが国王は——まだ食堂を見ていた。
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◆よしこ視点
お茶を配った。国王さんの分。カインくんの分。メルちゃんの分。ヴェルちゃんの分。
テーブルの反対側では、レオンくんたちがまだ食べとる。ガルくんのパンのおかわり争奪戦が始まっとる。
「国王さん、お茶どうぞ(^^)」
「……ありがたい」
国王さんがカップを受け取った。一口飲んだ。
メルちゃんが外交文書を広げた。和平条約の草案。びっしり書いてある。メルちゃん、頑張ったんやなぁ。
「陛下。こちらが和平条約の草案でございます。第一条は——」
「魔王よしこ殿」
国王さんが——メルちゃんの説明を遮った。
わてのほうを見た。灰色の目。さっきより——柔らかい。
「はい(^^)」
「あなたの城には——笑い声がある」
「…………」
「私は、魔王の城は暗く、冷たい場所だと思っていた。臣下が怯え、恐怖で統治される場だと」
「まぁ、わてが来るまではそういう感じやったらしいで(^^)」
「だが——違った」
国王さんが——食堂を見回した。
ガルくんが焼いたパンの匂い。ピプの笑い声。ティアちゃんの尻尾がパタパタしてる。レオンくんとドルガがまだ何か言い合ってる。リーゼちゃんが三杯目のスープをよそってる。
「子どもたちが笑っている。魔族も、人間も——同じテーブルで」
「そりゃそうやろ(^^) ごはんが美味いもん」
「…………」
国王さんが——カップを置いた。
「和平に——異論はない」
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◆ヴェルザ視点
異論はない。
その一言が——食堂に落ちた。
メルが外交文書を広げたまま固まっている。条項の説明をする前に——結論が出た。
「……陛下。条項の詳細については……」
「メル殿。——条項は、あなたの草案通りで構わない」
メルの紫の目が——見開かれた。
「わたくしの草案を——お読みになったのですか」
「カインから事前に受け取った。十日の旅の間に、全て読んだ」
カインが小さく頷いた。——あの男。いつの間に。
国王が——立ち上がった。魔王様のほうを向いた。
「よしこ殿。——正直に言おう」
「うん(^^)」
「条約の文面は、来る前から目を通していた。異論はなかった。——だが、この目で見るまでは、署名するつもりはなかった」
「…………」
「魔王の城に笑い声があるか。人間の子どもが、魔族と食卓を囲めるか。——それを見なければ、紙の上の約束など意味がない」
国王が——食堂の奥に目をやった。
レオン殿が——シオン殿と何か話している。二人とも元「勇者」。王国が送り出した子ども。一人は魔王城に残り、一人は感情を取り戻しつつある。
「カインの報告書は信じていた。——だが、信じるのと、わかるのは違う」
「せやな(^^)」
「今日——わかった」
国王がわずかに頭を下げた。王が。人間の王が。魔王に向かって。
「……よしこ殿に、感謝を」
「いやいや、ごはん食べてもらっただけやで(^^)」
——魔王様。
それが——あなたの外交ですわ。
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◆カイン視点
署名が終わった。
メルの外交文書。和平条約の本文。国王の署名。魔王の署名——「よしこ(^^)」。
ヴェルザが額に手を当てていた。「魔王様……せめて真名を……」
よしこが「ええやん、よしこで(^^)」と笑った。
メルが「……条約の正式名義に顔文字が入るのは史上初かと」と呟いた。
国王が——笑っていた。小さく。穏やかに。
この人がこんな顔をするのを、私は見たことがなかった。
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◆よしこ視点
国王さんが帰る時間になった。
門の前。カインくんが隣に立ってる。夕日が城壁を照らしてる。
「よしこ殿。——また来てもよいか」
「いつでもおいで(^^) ごはんあるで」
「……そうだな。また、あのシチューを」
「カインくんのぶんもあるで(^^)」
「……ありがたく」
カインくんが——小さく笑った。この人が笑うの、初めて見た気がする。いや、前も一回あったか。シチュー食べた時に。
二人が歩き始めた。荒野に向かって。
国王さんの背中が——来た時より、少しだけ軽く見えた。
——よかった。
おもてなし、できたかな。
メルちゃんの書類、結局ちゃんと使ったみたいやし。ヴェルちゃんも最後は安心した顔しとったし。
門のところで、ティアちゃんが「い、いってらっしゃいませ……!」と手を振った。尻尾がパタパタしとる。
——ん。
国王さんの後ろ姿が遠くなっていく。カインくんが並んで歩いとる。
ふと——門の外の、もっと手前。城壁の影に。
人影が見えた。
白と金の——服。
誰やろ。カインくんに同行してきた人? 門の外で待っとったんか。
入ってこーへんかったな。
「……ヴェルちゃん」
「はい」
「門の外に——もう一人おったん?」
ヴェルちゃんが——目を細めた。金色の目が、夕日に光った。
「……一名。到着は昨夜。門の前で——一晩、立っておりました」
「一晩……」
「聖教会の——大司教でございます」
白と金の服。城壁の影に、一人で立っている人。
入れなかった人。入らなかった人。
——あの人も、しんどいんやろなぁ。
「ヴェルちゃん」
「はい」
「明日、あの人のぶんもシチュー作るわ(^^)」
「…………かしこまりました」
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【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第81話「和平の食卓」。
よしこ流の外交は「まず食べ(^^)」でした。メルが完璧に用意した外交文書は無視され、条項の説明が始まる前に「異論はない」が出ました。国王が折れたのは理屈じゃない。食卓を見て、笑い声を聞いて——「わかった」のです。信じるのとわかるのは違う、と王自身が言いました。
カインにとって三度目のシチュー。Arc3で困惑し、第57話で「また」と言い、今回は何も考えずに「いただきます」と言えた。同じシチューが、カインの変化を映しています。
先代が迎えられなかった客人を、よしこは「よう来てくれたなぁ」の一言で迎えました。花壇の花が咲いた庭で、人間の王が魔王の城に入った。300年で初めてです。
そして——門の外には、もう一人。入れなかった人がいます。次回、第82話「グレイヴスの涙」。
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