第33話 全部、覚えている
2時間前
2時間前
後に、ルーカス様から聞いた話だ。
聞いたのは、三人が辺境の板張りの小部屋にたどり着いた夜のずっと後のこと。この話の中に私はいない。いない場所の十二歳の背中の薄い輪郭の上を、私はこの子の言葉の温度だけを頼りに歩くことになる。
——想像の補いが薄く混じっている。公爵邸の冬の終わりの、子供部屋の話だ。
---
「先生。最初に気づいたのは父上のご朝食の席でした」
獣脂灯の低い橙の光の中で十二歳の声がゆっくりと鳴った。
「父上はマティアスの名前を三度続けて『マルティン』と呼ばれました。クリスティーナ様は訂正されませんでした。クラウス先生も。誰もされませんでした」
三度という言葉の下に小さな息の継ぎ目が置かれた。その下に私が見ていない朝の食堂の遠い梁の形が薄く浮かんだ。
---
クリスティーナ様は私が門を出た三日目の朝に初めて子供部屋の廊下の二つ目の分かれ角の手前まで足音を運ばれた。そしてそこで止まった。中には一度も入られなかった。覗かれもしなかった。
十二歳の耳はヒールの半歩分の戻りの音を石板の升目の三つ目の印の上に静かに置いた。
——この方は、子供部屋の戸の内側の空気を吸うつもりがない。
父上は子供部屋には一度もおいでにならなかった。退場のあとも一度も。石板には「父上、階段の三つ目で折り返し」の細い縦線がひと月のうちに四本並んだ。四本の底のところにルーカス様は丸を打たなかった。
---
クラウス先生の「本日の課題は」の声は毎朝同じ高さで机の上の羊皮紙の束のところにきっちりと置かれた。
エミリア様の頬のいちばん丸い所の淡い紅はひと月のうちに半分薄くなった。マティアス様のお椀の半分の戻りももう半分戻らなくなった。
ルーカス様はそれを観察されただけだった。ひと月半のあいだ石板の升目の右下の三つ目の縦線が細く長く育っていった。
---
その夜のこと。
夕食のあとクラウス先生はエミリア様の羊皮紙の束の位置を机の右上から左上に移された。理由は告げられなかった。エミリア様は栗色のまつげの端に半粒の光を留めて頬までは下ろさずに寝台の方へ歩かれた。
マティアス様は揃えた靴の右隣に星のスプーンを音を立てずに置かれた。揃えた靴のちょうの両の羽の長さは今夜も半寸ほど左に寄っていた。
ルーカス様は石板を閉じずに机の端に開いたまま置かれた。開いた升目の右下の三つ目の縦線の先に冬の終わりの月の細い光がひと筋のった。
視線は月の光のさらに先に置かれた。その先には棚の一段目があった。
---
棚の一段目。茶色、紺、深緑、黒、深い赤。
五冊の背表紙は色の順に指一本分の隙間も残さずに並んでいた。
ルーカス様は棚の前に立たれた。立ってからどれくらい動かれなかったのかはご自分でも覚えておられないと後に言われた。
——わたしはこの棚の前を毎日通っていた。毎日知っていて、毎日開けなかった。
右手の人差し指がいちばん左の茶色の背表紙の小さく細い文字の凹みの上にそっと置かれた。
《ルーカス》
指の腹は最後の縦の一画で半拍止まった。止まった先で隣の紺色の背表紙の同じ温度をもう一度触った。
《ルーカス》
三冊目の深緑。《エミリア》。四冊目の黒。《ルーカス、エミリア》。小さな「、」の点の凹みが二人の名前のちょうど間のところにひと粒置かれていた。
五冊目の深い赤。《マティアス》。
指の腹は五つの名前の凹凸を左から右へ一度なぞった。なぞった先でふたたびいちばん左の茶色のところに戻り、背表紙の端をそっと引いて一冊目を棚から抜いた。
---
机の端の椅子に座られた。獣脂灯の橙の芯の光を机の空いた一角に引き寄せられた。茶色の表紙を両手で仰向けに置かれた。
革の掌の馴染みの深さが、十二歳の指先の薄い皮膚に、私の五年分の冬の指の押し当ての温度のいちばん遠い一粒を返した。
最初のページを開かれた。
《着任初日。マティアス、零歳一ヶ月。布端授乳、成功。山羊の乳を薄い木綿布に染み込ませて口元に当てる。最初の一滴、嚥下》
三行。
のど仏が一度上下した。のど仏の上の層に、五年前の春の子供部屋の暖炉の灰と酸えたミルクの匂いのいちばん遠い一粒が重なった。
「先生。……弟は一滴で生き直したんですね」
十二歳の声は私の膝の上に静かに置かれた。私はうなずかずにこの子の右手の甲の上へ自分の掌をそっと重ねた。
---
《ルーカス、七歳。朝、一度、声帯の震えあり。口を開いた瞬間、首を横に振った。——「今は、言葉にしなくて、いい」》
最後の波線の丸みのところで指先は半拍止まった。七歳の朝の首の横振りの角度を遠い記憶の層からゆっくり起こされた。
「……『今は、言葉にしなくて、いい』の下に、先生は鉛筆を置かれていたのですね」
指の関節の下の皮膚に小さな温度がひと粒昇った。その一粒をルーカス様は頬までは下ろさなかった。瞼の内側の深い層のほうへそっと吸い込まれた。
中ほどのページ。
《ルーカス、七歳七ヶ月。初夏。「ち、ち……」。二音節未満。——届いた》
「届いた」の下に指の腹を長く預けられた。声帯の半年分の閉じたままだった層が初夏のあの夜に細い線の形で外側へほどけた、あの瞬間の温度が戻ってきた。
その温度は、私の鉛筆の最後の一筆の薄い紙の繊維の層のところでゆっくり受け止められていた。受け止められたことをルーカス様は今夜まで知らなかった。
---
ページを、一枚、めくられた。
《エミリア、三歳。夜泣き、第一夜。「かあさま」の、最後の「ま」の音だけが、長い》
《——明日から、部屋の灯りの位置を、変える》
ルーカス様は妹の三歳の夜泣きの夜に隣の寝台で自分が毛布を被って壁を向いていたあの夜を覚えておられた。
「……先生はあの夜から、ひと晩ごとに灯りの位置を数えておられたのですね」
《七夜目。エミリア、初めて、指で、手首を、自分の胸に引き寄せる。「ここ」》の一行のところでもう一度指の腹が止まった。止められた先で、ご自分の七歳の壁の方を向いていた背中の後ろ側の耳のいちばん遠い層のところに、妹の「ここ」の声が小さく戻ってきた。
「……妹はあの夜、先生の手首を自分の胸に引き寄せたんですね」
紙の上では鉛筆の乾いた線だった。けれども十二歳の兄の胸のいちばん浅い層の上では、今夜少しだけ湿った線になった。
---
三冊目の深緑。夏のあたり。
《マティアス、三歳の夏。星型の、人参の葉。「にがい、けど——ぼくの、にんじんの、はだから」。呑み込んだ》
十二歳の頬のいちばん丸い所に、小さな、ふっ、という息が生まれた。笑いではなかった。けれども笑いのいちばん遠い端の温度が、半寸分だけ頬の外側の層に戻ってきた。
「……弟は緑の葉を最初に呑み込んだ日に『ぼくの、にんじん』と言ったんですね」
《所有の意識は、最初の呑み込みの温度から始まる》——その一行が鉛筆の薄い層のところで続いていた。
「……弟の『フィオナせんせいの、ごはんが、いい』は、この日の延長線の上にあったんですね」
私の胸のいちばん下の層に、マルタのひと月前の細い筆跡の「マルティン」の五文字がもう一度薄く反響した。
---
五冊目の、深い赤。
ルーカス様は最後の一冊の表紙を両手で仰向けに置かれた。開かれたページの下の段に、鉛筆の薄い線の閉じきっていなかった一行が置かれていた。
《この子たちは、もう、大丈夫。どこに行っても自分の力で歩いていける》
点は打たれていなかった。「る」の縦の画の先のところで鉛筆は止まっていた。右側の余白には次の一画がまだ下りていなかった。
「……点は、打たれていませんね」
「ええ、ルーカス様。点は打てなかったのです。打つと、閉じてしまうから」
打てばこの子たちの五年の向こう側が閉じる。打たなかった私は、閉じずに棚へこの冊を戻した。戻したまま辺境の街道の三日分の道のりを歩き始めた。
ルーカス様は「大丈夫」の下に指の腹を長く預けられた。預けた先で、十二歳の背中のいちばん深い層の静かな筋肉のところに、低い一拍の波が動いた。
——この波は、十二歳の意志の始まる前の、いちばん最後の静かな波だった。
---
五冊を棚に戻された。左から色の順に。
戻してから、椅子の背もたれに両手を体の横でまっすぐに下ろされた。壇上のあの日の所作。「こわくなったら、手を、さげる」とご自分で決められたやり方。今夜、胸のいちばん深い層に生まれかけている低い新しい決意の前の姿勢として、その所作を選ばれた。
——わたしは、こわくない。けれど、手を、さげる。
後にルーカス様はそうおっしゃった。こわくて下ろすのではなく、こわくないことを自分の指でもう一度確かめるために、今夜は下ろしたのだ、と。
---
確かめの下で、ルーカス様はひとつだけ言葉を喉の下の層に置かれた。
——この家には、僕たちを育てる人がいない。
鉛筆では書かれなかった。石板にも書かれなかった。ただ喉の下の深い層のところにひと粒静かに置かれた。
置いてから、もうひとつ。
——だから、育ててくれた人のところに行く。
二つの言葉の間の継ぎ目の中で、ルーカス様はご自分の父上の名前を一度呼ぼうとされた。呼ぼうとして呼ばなかった。
呼ばなかったのは許さないのではない。もうこの家の中では呼んでも返事が半寸遠くなっていることを、十二歳の耳が半年前から知っていたからだった。薄くなった父への呼び方の分を妹弟と先生の方向へ黙って足し直す——冬の夜にご自分で言語化されたあの選び方が、今夜、静かに確定した。
---
深い息を一度継がれた。継いだ息の下で机の端の椅子から立たれた。立った先で子供部屋の奥の寝台の方へ歩かれた。
エミリア様の寝台。
八歳の栗色の巻き毛の耳のうしろの一筋を、十二歳の指で静かに整えられた。整えた先で膝を折られた。折った膝の高さを枕の縁の高さにそっと合わせられた。——五年間、私が合わせてきた高さと同じだった。
「……エミリア」
寝息の深さの半拍手前のところで妹の名前を一度呼ばれた。呼ばれた先で栗色のまつげの端の薄い層がゆっくり開いた。灰色の瞳は橙の芯の光のいちばん細い層の中で兄の顔を静かに捉えた。
「……にいに」
妹の夜の声はいつもより半拍起きていた。雷の遠音の夜に「……まま……せんせい……」と薄い寝息の層から声が戻ってしまった夜の翌朝の起き方の、その延長線の上に今夜の半拍の起き方があった。
「……相談が、あるんだ」
十二歳の声は、二つの喉の下の言葉をひとつ飲み込んだあとの乾いた層だった。けれども乾いた層の下のほうに、五冊分の背表紙の名前の凹凸の五年分の温度が静かに預けられていた。
「……うん」
---
ルーカス様は妹の灰色の瞳のいちばん奥の層のところに、ご自分の茶色の瞳のいちばん真ん中の層をそっと置かれた。
「先生の、いる場所に、行きたい」
鉛筆の字ではなく石板の印でもなく、喉の下の層から直接、妹の耳のいちばん近い層のところに届けられた。
エミリア様は一瞬動かれなかった。動かれなかった一瞬の中で、灰色の瞳のいちばん奥の層のところに小さな明るい光の粒がひとつ昇った。
「……にいに」
「うん」
「……わたしも、いく」
半拍置いてエミリア様は、枕の下の藤色と栗色のリボンの羽の長さに指の先を短く触れられた。触れた先でもう一度兄の顔を見上げられた。
「マティアスも、いっしょ」
妹の声には迷いの揺れがひと粒も混ざっていなかった。冬に袖口の縁を爪で引っ掛けたまま「せんせいが、いなくなったら、どうしよう」と初めて言葉に出した、あの七歳の夜の分離不安の言語化の延長線の上に、今夜の言葉はまっすぐ置かれていた。
「……うん。一緒に、行こう」
ルーカス様はうなずかれた。半寸分の浅いうなずき。けれどもその半寸の底には、十二歳の胸の深い層の静かな筋肉の低い波がしっかりと乗っていた。
---
末っ子の寝台の方にも、歩かれた。
マティアス様は星のスプーンを胸の前に深く握ったまま、浅いけれど均等な寝息を立てておられた。ルーカス様は弟の金髪のつむじの近くまで顔を寄せられた。寄せた先で、五歳の頬の淡い紅の半分薄くなった層の上に、十二歳の息のいちばん短い一筋をそっと置かれた。
「……マティアス」
「……ぅん」
夢の中の五歳の返事の短い鼻音。ただ夢の中で呼ばれた音のいちばん外側の層に反射で応えた、ひと粒の鼻音だった。
「……先生のところ、いこうね」
置いた先で次の一拍が半寸分だけ深くなった気がした。気がしただけで確証はなかった。けれども兄は、その気がした、を信じることにした。
——マティアスの靴紐を結び直すのは、明日だ。
半寸左に寄ったちょうの両の羽を、妹と先生の足元まで歩ける形に明日結び直す。五歳の自分の指ではまだ揃えきれていないこのひと月の半寸の寄りを、兄がひと寸の手の出し方で預かっておく。
---
寝息の波がもう一度均されるまで、ルーカス様は窓辺の絨毯の縁に膝を折って待たれた。
夜の深い時間の次の低い一拍のところで、廊下の石のひんやりした一画から、マルタのエプロンの裾の細い擦れの音がひと筋流れた。擦れの音は戸の敷居の半歩手前で止まった。戸は開かれなかった。
十二歳の耳はその距離を、ひと月前のヒルデ様の足の止まりと比べていた。同じ距離だった。けれどもマルタの擦れの音の中の温度は、ヒルデ様の石のひと粒の冷たさとは違う層の温度だった。——知っていて止まっている温度。知っていて戸を開けない温度。知っていて止めない温度。
ルーカス様は擦れの音のいちばん遠い層のところに、小さな感謝の温度を置かれた。声にはならなかった。
やがて擦れの音は、廊下の反対側の暗がりの方へ静かに戻っていった。
---
ルーカス様は夜の進み方を指先の冷たさで数えられた。爪の薄桃色の下のところに、三つの寝息の波が一つずつ静かにのっていった。
——明日の朝は、まだ早くは出ない。
靴紐を結び直す。書き置きを書く。地図に宿場町の印をつけ直す。巾着の小遣いを確認する。マルタに街道の方角を——いや、それはもう聞いた。半月前に聞いた。聞いた時のマルタの指の腹の押さえの厚みは、あの時いつもより重かった。
その重さの意味は今夜ようやく、十二歳の喉の下の層のところに半寸近づいた。
---
こうしてこの子は書き置きの最初の一行を、翌朝、机の上で書くことになる。「父上へ」と書くのか。「お父様へ」と書くのか。書き始めの一語を、その夜はまだ決めかねていた。決めきれないまま、冬の終わりの月の細い光を右手の甲の薄い皮膚の上にそっと受け止めて、膝を立てられた。
——いつか先生に、この夜の話を全部する。
その一行は後に、三日間の街道の二日目、宿場町のヘルガさんの宿の小さな寝台の毛布の下でもう一度確かめ直される。確かめ直されて、辺境の板張りの小部屋の私の膝のいちばん近い層のところまで、三日分の街道の埃の温度ごと届けられる。
——届けられたのが、今夜だ。
私は、ルーカス様の右手の甲の上に重ねた自分の掌の温度を半拍深くした。深くした先で、十二歳の喉の下の深い層の五冊分の背表紙の凹凸の温度を、私の指先のところで静かに受け取り直した。
——この子は、全部、覚えている。
棚の一段目の深い赤の、点の打たれなかった「大丈夫」の余白は、もう棚の遠いほうにはなかった。点は今も打たれていない。けれども「大丈夫」の先は、この子の胸のいちばん深い層の静かな筋肉のところでゆっくり続いていた。続き方の一番最初の低い一拍を、私は今夜、ルーカス様の言葉の温度の中でようやく、耳の奥のいちばん深いところで受け取り直した。
---
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第三十三話「全部、覚えている」は、第三アーク「転」の一話目、回想再話形式の初回です。
冒頭の一行「後に、ルーカス様から、聞いた話だ」から始まるこの二話(EP033・EP034)は、フィオナの一人称の制約のちょうど外側に置かれた、特別な二話でもあります。フィオナがその場にいなかった夜の公爵邸を、再会のあとに、ルーカス様ご自身の言葉から、一つずつ聞き直し、記憶の中で、想像の補いを薄く重ねながら、追体験していく——そういう距離感で書きました。
棚の一段目の、茶色・紺・深緑・黒・深い赤の、五冊の背表紙に、退場前夜(EP026)、フィオナが刃で彫り添えた名前が、EP033の夜、十二歳の指の腹に、触覚の温度として、届きます。読んでほしいと願わなかった記録が、誰にも読まれないまま閉じても良いと覚悟した記録が、五年越しに、いちばん届いてほしかった子の、指の凹凸のところに、静かに受け取られる。「誰も読まない記録」(EP024)の一行は、この夜、ルーカス様の、右手の人差し指の腹のところで、ひっそりと、覆されました。
「この家には、僕たちを、育てる人が、いない。だから、育ててくれた人のところに、行く」——この決意は、反抗ではなく、選択でした。十二歳の、冷静な、観察の積み重ねの、いちばん底の層から、静かに昇ってきた、ひとつの、実務的な結論。父の名を、呼ばずに飲み込んだ継ぎ目の中に、「薄くなった呼びかけの分を、妹弟と先生の方向に足し直す」(EP022の夜の自己言語化)の、延長線が、まっすぐに通っていました。
エミリア様の「わたしも、いく。マティアスも、いっしょ」は、分離不安を「せんせいが、いなくなったら、どうしよう」と言語化した、あの七歳の冬の夜の、いちばん遠い延長線の上に置かれました。マティアス様の、浅い寝息の、半寸分の深まりの一拍に、五歳の、無意識の、同意の温度が、静かに乗っていました。
そしてこの夜の話は、第一話の、早朝五時の門前の、三人の到着の、いちばん深い土台になります。「僕たちはフィオナ先生を選びます」——ハンスの前の、あの、十二歳の一言の、喉の下の層には、この夜の、棚の一段目の、五冊の背表紙の、凹凸の温度が、ずっと、預けられていました。
保育の、最大の成果は、子供が、自分で判断し、自分の足で行動できるようになること。教え込むことではなく、気づかせることでもなく、ただ、いつか子供自身が、自分の目と、自分の指で、真実を見つけられるように、五年分の手順を、棚の一段目に、静かに置いておく——その静けさが、この夜、十二歳の指先に、届きました。
次話「靴紐を結んで」では、家出の前夜と、三日間の旅路を、引き続き、ルーカス様の回想の、延長線の上で書きます。マティアス様の、半寸左に寄ったちょうの、両の羽の長さを、ルーカス様がどう結び直すのか。宿場町のヘルガさんとの出会い、二日目の街道での発熱、三日目の、門の前の、早朝五時に、どう繋がるのか。引き続き、お付き合いいただけたら嬉しいです。
☆評価・ブクマ・感想をいただけると次話の励みになります!