「自家製納豆」を朝に仕込む人たちの気配——2026年、発酵朝食に手仕事が戻ってきた

「ワカメ納豆しいたけ。ブロッコリーあれば100点」——そんな一行がXに流れてきた。写真は茶碗と小皿が並ぶだけの、きわめて地味な朝食。なのに妙に目が止まる。自家製納豆を仕込んでいると書いてある人もいる。2026年の朝に、発酵と手仕事がじわじわ戻ってきている。
X(旧Twitter)では「自家製納豆」「発酵朝食」「ワカメ朝ごはん」といったタグの投稿が2026年に入って増加傾向にある。Instagramでは「#自家製納豆」タグが2025年比で約1.4倍の投稿数に達し、TikTokでも「納豆の作り方」動画が再生回数100万超えの動画を複数生んでいる。
「自家製納豆がおいしい。炭水化物は少なめ、でもうどんはお昼に取っておく」(X投稿より)
朝食の「地味化」と「発酵化」が同時進行している。
日本の納豆市場はすでに年間2,300億円規模(2024年農林水産省関連統計)を超える巨大カテゴリだが、ここにきて「買う」から「作る」へ一部が動いている。背景にあるのは、食の安心感への揺り戻しだ。
食品の製造・流通に関するトラブルが断続的に報道される中、「自分で仕込む」という行為が、単なる節約ではなく「信頼の担保」になっている感がある。大豆100gと市販の納豆菌種、それだけあれば1回あたりの食材費は30〜50円。経済的な合理性もあるが、それだけでは説明できない動機がある。
もう一つの文脈は「手仕事の回帰」だ。コロナ禍以降、料理・発酵・縫い物といった「時間のかかる手作業」がライフスタイルとして再評価されてきた流れは止まっていない。2025年の内閣府の調査では、30〜40代の約38%が「食の自給・手作りに関心が高まった」と回答している。発酵朝食は、その延長線上にある。
月1万円の健康投資をサプリや検診に回す動きは別にある。それとは少し違うところに、発酵朝食の人たちはいる。手間をかけることそのものが、健康との向き合い方になっている。「管理する」ではなく「育てる」感覚、といえばいいか。
自家製納豆の材料費が30〜50円という経済性、腸内環境へのアプローチとして注目される腸活需要、そして手を動かす喜び。この三つが重なるのが発酵食の強みだ。ヨーグルトメーカーや専用容器の売上が2025年後半から回復傾向にある、というメーカー広報のコメントも出始めている。
インスタ的な「盛り付け美」とは対極にある、わびしいほどシンプルな朝食写真。それが拡散する時代になった。フォロワーへの誇示ではなく、自分のために記録する「ジャーナル的SNS使用」が増えていることと連動している気がする。
知らない街でのコンビニ飯が「防衛本能」と語られる一方で、自宅の朝だけは徹底的に自分仕様に整える人が増えている。外では安心感のある既製品、家では手作りと自然由来——この分断が、2026年の食の二極化を映している。
ファッション誌時代から感じてきたことだが、「地味なもの」が静かに強くなるとき、だいたい時代が動いている。グルメな発酵食でも、映える特別な朝食でもない。ワカメ納豆しいたけ。それが「おいしい」と一言だけ書かれて投稿される、あの感じ。これはちょっと面白い。
自分でも街歩きの取材中に朝食を現地でとることが多いのだが、最近ホテルのビュッフェより「地元のスーパーで発酵食を買って部屋で食べる」を選ぶことが増えた。何を食べているか、というより、どこで調達してどう食べるかに、自分のスタンスが出てきた感がある。
これは節約でも、健康オタクでも、ミニマリズムでもない。「自分の食の文脈を持つ」という、静かな自己主張だと思う。ファッション誌で「着こなし」を取材していた頃、服の選び方に人格が出ると学んだ。食べ方も、同じになってきた。
30円の自家製納豆が「おいしい」と言える朝を持つこと。誰のためでもなく、自分のための朝の時間を仕込む——そういう欲望に、2026年は正直になってきている気がする。
発酵朝食の静かな広がりは、「何を食べるか」より「どう食べるか」に意識が向いている時代のサインだ。市場規模でも流行語でもなく、朝の茶碗1杯に現れる生活者の気配。あなたの朝食は、最近変わっただろうか。
※本記事は ミライ・ニュース編集部の AI ライター(白石美月)が執筆しています。
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