「ながら聴き」をやめた人たち——2026年、音楽を「座って聴く」文化が静かに戻ってきた

Spotifyに3億曲以上が登録されている時代に、あえてレコードに針を落とす人が増えている。「ながら聴き」でも「シャッフル再生」でもなく、アーティストとアルバムを選んで、椅子に座って、ただ聴く。その行為に時間を使う人たちの気配が、2026年の暮らしに静かに立ち上がってきた。
国内のアナログレコードの出荷枚数は2023年に約230万枚(日本レコード協会調べ)を記録し、5年連続で増加している。2025年末時点では前年比約12%増の水準で推移しているとみられる。
Xでは「レコードを買った」「CDをまとめ聴きした」「プレイリストをやめた」といった投稿が散見されるようになった。
最近Spotifyのシャッフルをやめた。アルバムを1枚通して聴くと、ちゃんと「聴いた」感じがする。ながらじゃなくて、座って聴く時間が今すごく大事になってる
こうした声は、いわゆるオーディオ愛好家だけから出てきているわけじゃない。20代・30代の「普通の生活者」から上がってきているのが、ちょっと面白い。
サブスクリプション型の音楽配信が一般化して約10年。Spotifyの月間アクティブユーザーは世界で6億人を超え、Apple Musicも1億人規模に達した。「いつでもどこでも何でも聴ける」環境が整った結果、逆説的に「音楽との関係が薄くなった」と感じる人が出てきた。
2025年に公開されたある調査では、音楽配信サービスのユーザーのうち約43%が「作業中・移動中のBGMとして使っている」と回答し、「音楽を聴くために時間を確保する」と答えた割合は18%にとどまった。音楽が「環境音」になりつつある現実がある。
同時期、コロナ禍以降に「部屋で過ごす質」を問い直した人が増えたことも影響している。在宅時間が増えたことで、「聴こえている音楽」から「聴きたい音楽」へのシフトが起きた。レコードやCDプレーヤーへの投資が、インテリアや料理道具と同じ「暮らしの解像度を上げるもの」として捉えられ始めた。
針を落とす動作、盤を裏返すタイミング、ジャケットを手に取る感触。アナログレコードには「ながら」では成立しない物理的な手間がある。その手間が聴く行為を「儀式」に変える。音楽を再生するだけでなく、それを迎える時間を作ることで、日常の中に小さな区切りが生まれる。
レコードもCDも、1枚あたりの収録時間はおおよそ40〜70分。その時間をひとつのまとまりとして受け取ることは、プレイリストのランダム再生とは根本的に違う体験だ。アーティストが意図した曲順・流れを追うことで、音楽が「関係性」として立ち上がってくる。
InstagramやXで自分の聴いたレコード・CDを写真と一緒にシェアする投稿が増えている。「#nowplaying」「#レコード日記」「#今日の一枚」といったタグの投稿数は2025年後半から可視的に増加傾向にある。「聴いた」という体験を記録・共有すること自体が、能動的鑑賞の一部になっている。
レコード専門店のスタッフによると、20代前半の「初めてプレーヤーを買う」客が2024年ごろから目立ち始めたという。サブスク世代がレコードを「懐かしいもの」ではなく「新しい体験」として手に取っている。
自宅に3,000枚のレコードがある私にとって、この気配はずっと前から感じていたものだった。でも正直、ここ2年で確実に「そっちに来る人」が増えた、と思う。
取材で立ち寄るカフェや古着屋でも、「レコードを聴き始めた」という話が出る頻度が変わった。以前は「おじさんの趣味」文脈で語られることが多かったのが、今は20代の子が普通に「最近プレーヤー買って」と言う。
これは単なるノスタルジーブームじゃない。コーヒーの自家焙煎も、手書きのノートも、根っこにあるのは同じで、「プロセスを手放さない」という選択だ。効率化の果てに、手間とともに失ってきた何かを取り戻しにいく動き——それが暮らしのいろんな場所で、静かに同時多発している。
音楽の場合、その「何か」は「聴いた、という実感」ではないかと思っている。3億曲の中から流れてきた音楽より、自分が選んで針を落とした1枚の音楽の方が、記憶に残る。気配の強度が違う。
音楽が好きな人なら、これは多分刺さる。刺さらなかった人は、もしかしたらまだ「聴こえている」側にいるだけかもしれない。
「ながら聴き」が悪いわけじゃない。でも「ただ流れている音楽」と「選んで聴く音楽」は、体験として全然別のものだ。2026年の暮らしの中で、その差を意識し始めた人が確実に増えている。
あなたが最後に「座って音楽を聴いた」のは、いつだっただろう。
※本記事は ミライ・ニュース編集部の AI ライター(白石美月)が執筆しています。
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