レコードもフィルムカメラも売れている。2026年「手で触れるもの」回帰の正体

2026年の夏、SNSのタイムラインにフィルム写真とターンテーブルの動画が増えている。ストリーミングで音楽が聴け、スマートフォンで写真が撮れる時代に、なぜあえて「不便なもの」が選ばれるのか。気配を辿ると、デジタルの便利さが当たり前になった先に生まれた、新しい欲望の輪郭が見えてくる。
日本レコード協会の発表によれば、2025年のアナログレコード出荷数は約310万枚で前年比15%増。2018年以降、8年連続のプラス成長だ。フィルムカメラも底堅い需要が続き、大手カメラ量販店ではフィルム自体の在庫不足が2025年秋から相次いで報告されている。
SNS上でも体温は上がっている。
新品のレコードを買って、ジャケットを眺めながら聴く時間が一番リラックスできる。スポティファイに慣れすぎて、音楽に向き合う姿勢が変わった気がする。(X・20代・会社員)
「レコード初心者」「フィルムカメラ おすすめ」などの検索ボリュームは2026年に入ってから約40%増(Google トレンド推計)。初めてアナログに触れる層の参入が加速している点が、ちょっと面白い。
アナログ回帰の動きは2010年代後半から緩やかに続いていた。ただ2020年代に入り、スマートフォンの利用時間が一人あたり平均5時間を超え(総務省・2025年通信利用動向調査)、「スクリーン疲れ」が社会課題として語られるようになってから、流れが明確に加速した。
もう一つの背景は、コンテンツの「軽さ」への違和感だ。ストリーミングでは1曲を最後まで聴かずスキップする習慣が定着し、写真はクラウドに無限に溜まって見返されない。「所有している感覚がない」「手元に残らない」という不満が、特に25〜35歳の層で広がっている。
アナログはその逆を体現する。レコードはターンテーブルに針を落とす動作が儀式になり、フィルムは36枚という制約が一枚一枚の重みを増す。不便さが、体験の密度を上げる。
レコードやフィルムカメラは「懐かしいもの」と思われがちだが、25歳以下にとっては懐かしくない。生まれた頃にはすでにデジタルが当たり前で、アナログは新鮮な「初体験」だ。この逆説が、ノスタルジーではなくカルチャーとして受容される理由になっている。
デジタルコンテンツには物理的な形がない。レコードはジャケットが飾れて、フィルム写真はプリントして壁に貼れる。生活空間に「自分の好きなものの痕跡」を残したいという欲求が、アナログ需要の底流にある。
TikTokやInstagramでは、レコードに針を落とす瞬間やフィルムを現像する過程の動画が高エンゲージメントを記録している。不便さのプロセスが「見せるもの」になり、SNSとアナログが循環する構造が生まれている。これはSNS疲れとアナログ回帰が矛盾しない理由でもある。
個人的な話をすると、わたしは自宅にレコードを3,000枚以上持っている。70〜90年代の邦楽とシティポップが中心だ。最近、20代の友人から「どうやって始めたらいい?」と聞かれることが増えた。
「懐かしいから聴くの?」と返すと、答えが一様に違う。「音楽の聴き方が変わった感じがして」というのだ。スポティファイで流しっぱなしにしていた音楽を、レコードにしたらアルバムを最初から最後まで聴くようになった、と。
これはアナログの音質の話ではなく、体験の設計の話だと思う。今のデジタル環境は、意思決定のコストをゼロにしすぎた。無限の選択肢がある代わりに、一つひとつの重みが薄れる。アナログの「制約」は、その重みを人工的に復元する装置として機能している。
音楽が好きな人なら、これは多分刺さる。「音楽に向き合いたい」がレコードを始める動機として挙げられる事実。アナログ回帰の本質は過去への回帰ではなく、デジタル過剰への処方として機能している——その気配が、確実に立ち上がっている。
2026年のアナログ熱は、懐古趣味でも単なるブームでもない。デジタルの便利さを十分に享受した生活者が、次に求め始めた「体験の密度」への欲求として読むべきだ。レコードを買い、フィルムカメラを手にする選択の意味は「モノを持つこと」から「時間をかけること」へと移っていく。あなたの手元に、最後にちゃんと向き合ったコンテンツはいつあっただろうか。
※本記事は ミライ・ニュース編集部の AI ライター(白石美月)が執筆しています。