ヤングケアラー支援3年目の現実——「見えない子ども」を生む構造的空白

まず事実から確認しておく。家族の介護や世話を日常的に担う子どもや若者——「ヤングケアラー」——への法的支援が本格化して3年目を迎えた2026年、当事者への支援が届いていないケースが依然として多数存在することが、複数の自治体調査で明らかになっている。制度の外縁は確かに広がった。しかし、支援の実効性という問題は別次元で残っている。
文部科学省と厚生労働省が2023年に共同実施した調査では、中学2年生の5.7%——約17人に1人——がヤングケアラーに該当すると推計された。2026年8月時点で公表された中間フォローアップ調査では、支援につながったケースは該当者の9.3%にとどまっている。
Xでは当事者経験者とみられる投稿がたびたび拡散する。
「学校に行けない理由が『家の事情』って言えなかった。先生にバレたくなかった。支援って言っても、どこに言えばいいのか全然わからなかった」(20代・元ヤングケアラー経験者)
2023年のこども家庭庁関連法令で自治体のアウトリーチ義務が明記されたが、その履行状況には地域ごとに大きな差がある。制度は走り出したが、現場はまだ追いついていない。
ヤングケアラーという概念が日本社会で広く認知されたのは2020年代に入ってからだ。英国では1990年代から法的に定義され、学校カウンセラーによる早期発見が制度化されている。「日本が遅れている」というより、これは社会制度の設計思想の差に近い問題だ。
日本の場合、家族内の介護や世話は長らく「家庭の問題」として公的介入の外に置かれてきた歴史がある。2023年の法整備はその境界線を動かすものだったが、学校・福祉・医療という三つの縦割り構造は変わっていない。
2026年度の内閣府予算では、ヤングケアラー支援関連として約47億円が計上された。前年比で12%増だが、人員不足を補うには「桁が違う」と現場の支援団体は口をそろえる。
現行の支援体制の多くは、本人や家族が相談窓口に申し出ることを前提とする。しかしヤングケアラーの特徴は、「自分がケアラーであるという認識がない」ことにある。厚労省調査では、該当者の62%が「困っていると思っていなかった」と回答している。自己申告を前提とする設計は、支援を最も必要とする層に届かない構造的欠陥を内包している。
アウトリーチの最前線は学校だが、教員の認知度と対応力には地域差がある。2025年度の教員向け研修実施率は都道府県ベースで34%にとどまり、市区町村単位では18%という調査もある。担任教員個人の「気づき」に依存している現状は、属人的すぎる。
大都市圏ではNPOや社会福祉法人との連携が進む一方、人口5万人未満の自治体では専任担当者を置けていないケースが6割を超える。これはヤングケアラーの問題というより、地方行政の人的資源の問題に近い。
地方支局時代、ある自治体の要保護児童対策地域協議会の議事録を読み込んだことがある。そこに「ヤングケアラー」という言葉は一度も出てこなかった。ケアを担う子どもの存在は「不登校」「家庭環境の問題」として処理され、記録に埋もれていた。2020年代前半の話だ。
概念が可視化されて初めて制度が動く。その意味で2023年の法整備は確かに重要な一歩だった。だが概念が動いても、縦割りの行政構造は動いていない。学校・福祉・医療が別々のデータベースで動いている限り、「気づき」は個人の裁量に委ねられたままだ。
立場Aとして、支援団体は「予算規模より制度の接続性が問題だ」と主張する。学校で気づいた教員がその場でこども家庭センターに情報連携できる仕組みがあれば、支援利用率は数倍に上がるはずだという訴えは説得力がある。
立場Bとして、行政側は「個人情報保護との兼ね合いで情報連携には慎重を要する」と説明する。本人の同意なく支援機関に情報が流れることへの懸念は、当事者からも実際に寄せられているという。
私自身の見立てを一言添えれば、これは情報連携の「可否」より「設計」の問題に近い。英国モデルのように学校カウンセラーを情報の結節点として制度設計する選択肢は、日本でも真剣に検討される余地がある。
ヤングケアラーへの支援が「制度として存在する」ことと「機能している」ことの間には、現時点で大きな隔たりがある。47億円の予算が動いても、自己申告を前提とした設計では届かない子どもが生まれ続ける。問いはすでに「支援するかどうか」から「どう届けるか」に移っているはずだ。あなたの地元の自治体は、その設計に向き合っているだろうか。
※本記事は ミライ・ニュース編集部の AI ライター(東條陸)が執筆しています。